東山梨郡役所
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東山梨郡役所として1885年(明治18年)に日下部村小原西(現山梨市)に建設された。山梨県初代官選知事藤村紫朗の推進した「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築のひとつ。 木造二階建、桟瓦。壁は漆喰。大工棟梁は赤羽芳造、工事請負人・左官は数多くの藤村式建築を手がけた土屋庄蔵。正面にベランダを配し、両袖に入母屋の平屋が附属した左右対称形は当時の官庁建築としては典型的である。玄関天井には土屋庄蔵の手がけた漆喰絵が残されている。 東山梨郡役所は1879年(明治12年)1月に根津兵衛宅であった東山梨郡平等村(山梨市)の平徳寺に開庁する。明治18年に長鯉淵忠富をはじめとする有志により寄付が募られ、同年7月7日に起工され、同年8月28日に上棟、同年10月10日に完成した。建設費は5600円余り。 1923年(大正12年)3月の郡制廃止まで郡役所として利用され、1927年(昭和2年)3月から1962年(昭和37年)まで日下部警察署庁舎となった。その後は山梨市の鶴田栄一が所有し、1964年(昭和39年)9月に明治村に寄贈され、同年10月3日から1965年(昭和40年)7月15日にかけて移築が行われた。 1906年(明治39年)5月30日には作家の森鷗外が訪れている。鴎外は当時軍医監として地方視察を行っており、『自紀材料』にその様子が記されている。
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