東寺一長者としての公務とは? わかりやすく解説

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東寺一長者としての公務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:59 UTC 版)

文観」の記事における「東寺一長者としての公務」の解説

建武2年1335年10月14日文観故郷である播磨国兵庫県)に戻り、かつて若手時代世話になった宇都宮長老供養行った『峯相記』)。文観宇都宮長老事業引き継いで完成させた講堂は、西国第一大堂称されたという。この後、すぐに京都戻って1週間後21日には仁王経法を行じ28日には仁王会修している(『東寺長者補任』)。仁王経法とは密教鎮護国家のために使用される最大秘法であり、仁王会とは顕教護国のために行われる大きな法会であるから、相当に緊密多忙なスケジュールである。 建武政権真言宗要職独占した文観は、種々の儀式後醍醐天皇補佐行った10月30日舞楽曼荼羅供(『東寺長者補任』)。閏10月8日京都神護寺仁王経大法および後醍醐天皇御加持15日結縁灌頂16日空海由来秘宝用いて具支灌頂作法一夜之儀の伝授などを行っている(『瑜伽伝灯鈔』・『師守記康永4年1345年5月10日条)。閏10月23日には仏舎利分配行い17粒を後醍醐天皇に、1粒を後醍醐寵姫である准三后阿野廉子に、1粒を恵鎮円観分与した(「東寺長者弘真仏舎利請状」)。また、12月2日に、後醍醐天皇真言宗秘宝一つである金剛峯寺根本縁起書写して手印を捺したが、これは父帝後宇多上皇同様の事例考えられる同年12月13日には、三衣と鉢を東寺西院御影堂施入した。三衣のうち五帖袈裟と九帖袈裟空海のものの写し宮中相伝されてきた御物であり、七帖袈裟空海が師の恵果から相伝したという。このうち、九帖袈裟2006年時点でも東寺現存している。また、同月25日には、河内国大阪府)の天野山金剛寺に仏舎利を5粒施入している(『金剛寺仏舎利施入状』)。 以上のように、建武政権下で文観多忙な仏教上の公務をこなし、東寺長者としての責務果たしていたことがわかる。

※この「東寺一長者としての公務」の解説は、「文観」の解説の一部です。
「東寺一長者としての公務」を含む「文観」の記事については、「文観」の概要を参照ください。

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