東宝系の劇場
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ライバル館「東宝日本劇場」が南1条西1丁目に開業した翌年の1955年(昭和30年)、東宝の直営館となり、館名を東宝公楽劇場に改称。同時に座席数100席ほどの名画座「公楽文化劇場」を併設。日本アート・シアター・ギルド作品も上映していた。全国の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)、札幌市内の映画館は51館に達し、そのうち南5条方面には当館2スクリーンと札幌新東宝劇場(2丁目)の計3館があった。 1969年(昭和44年)、大正期の開館以来の建物を取り壊し、翌1970年(昭和45年)12月5日に地下2階・地上7階建てのビルディングに改築、3階に札幌東宝劇場として再開場する。このころには、エンゼル館と松竹座はすでになく(前者は1968年、後者は1970年閉館)、須貝興行は旧・札幌劇場の跡地に須貝ビル(後のディノス札幌中央)を建設(1968年)。南4条西3丁目にあった札幌日活劇場はロマンポルノ上映館へと転向(1971年 - 1988年)している。 1974年(昭和49年)、館名を札幌東宝公楽に再改称、東京の千代田劇場→日劇東宝→日劇2→TOHOシネマズ日劇(スクリーン2)系列の邦画ロードショー館となった。定員470人(改築当初は536人)。東宝日劇(552席)閉館後は道内にある東宝系映画館(シネコン含む)の中でも最大規模を誇る映画館となっていた。デジタル音響は非対応。劇場正面に手書きの映画看板を掲げていた道内最後の映画館であった。 1995年(平成7年)7月1日には『さっぽろ映画祭リターンズ'95』が行われ、同映画祭で上映された『119』の監督を務めた俳優・竹中直人が訪れ舞台挨拶を行った。また2002年(平成14年)10月5日封切の『明日があるさ THE MOVIE』では、同作出演の東野幸治、山田花子、ロンドンブーツ1号2号が舞台挨拶で来館している。 2010年(平成22年)、シネマコンプレックスの台頭などで、470席1スクリーンの規模では、今後の経営継続が困難な状況になるため、同館の閉鎖が発表された。同年7月10日封切の『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール 幻影の覇者 ゾロアーク』が最後のロードショー作品となった。同年8月28日 - 同31日までの4日間は、閉館イベントとして、『ゴジラ(第1作)』と『ドラえもん のび太の恐竜』(28日・29日)、『天国と地獄』と『ALWAYS 三丁目の夕日』(30日・31日)が上映された。東宝系劇場として55年、美満寿館時代から数えると89年の歴史に幕を閉じた。同日には旭川市にあった同じ東宝系の映画館「旭川東宝」も閉館している。
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