東宝系の劇場とは? わかりやすく解説

東宝系の劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 01:07 UTC 版)

札幌東宝公楽」の記事における「東宝系の劇場」の解説

ライバル館「東宝日本劇場」が南1条西1丁目に開業した翌年1955年昭和30年)、東宝直営館となり、館名を東宝公楽劇場改称同時に座席数100席ほどの名画座「公楽文化劇場」を併設日本アート・シアター・ギルド作品上映していた。全国映画館数がピーク迎えた1960年昭和35年)、札幌市内映画館51館に達しそのうち5条方面には当館2スクリーン札幌新東宝劇場2丁目)の計3館があった。 1969年昭和44年)、大正期開館以来建物取り壊し、翌1970年昭和45年12月5日地下2階地上7階建てのビルディング改築3階札幌東宝劇場として再開場する。このころには、エンゼル館松竹座はすでになく(前者1968年後者1970年閉館)、須貝興行旧・札劇場跡地須貝ビル(後のディノス札幌中央)を建設1968年)。南4条西3丁目にあった札幌日活劇場ロマンポルノ上映館へと転向1971年 - 1988年)している。 1974年昭和49年)、館名を札幌東宝公楽に再改称東京千代田劇場日劇東宝日劇2→TOHOシネマズ日劇スクリーン2系列邦画ロードショーとなった定員470人(改築当初は536人)。東宝日劇552席)閉館後道内にある東宝映画館シネコン含む)の中でも最大規模を誇る映画館となっていた。デジタル音響非対応劇場正面手書き映画看板掲げていた道内最後映画館であった1995年平成7年7月1日には『さっぽろ映画祭リターンズ'95が行われ、同映画祭上映された『119』の監督務めた俳優竹中直人訪れ舞台挨拶行った。また2002年平成14年10月5日封切の『明日があるさ THE MOVIE』では、同作出演東野幸治山田花子ロンドンブーツ1号2号舞台挨拶来館している。 2010年平成22年)、シネマコンプレックス台頭などで、470席1スクリーン規模では、今後経営継続困難な状況になるため、同館の閉鎖発表された。同年7月10日封切の『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール 幻影の覇者 ゾロアーク』が最後ロードショー作品となった同年8月28日 - 同31日までの4日間は、閉館イベントとして、『ゴジラ第1作)』と『ドラえもん のび太の恐竜』28日29日)、『天国と地獄』と『ALWAYS 三丁目の夕日』(30日31日)が上映された。東宝劇場として55年美満寿館時代から数えると89年歴史に幕閉じた同日には旭川市にあった同じ東宝系の映画館旭川東宝」も閉館している。

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