束縛が起きる原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 05:44 UTC 版)
「業 (ジャイナ教)」の記事における「束縛が起きる原因」の解説
詳細は「カルマの原因 (ジャイナ教)」を参照 ジャイナ教のカルマの理論では、カルマの微粒子は行動に結びついた四つの要因によって霊魂に誘引され、束縛されると定義されている。その四つの要因とは、手段、過程、様相、動機づけ、である。 行動の「手段」とは行動の道具が、肉体的な行動の場合の身体であるか、言語行為の場合の言葉であるか、思考的熟考の場合の心であるか、ということを指す。 行動の「過程」とは行動が起こる時系列、つまり、行動をすることを決定し、行動を容易にするために計画し、行動に必要な準備をし、そして最終的に行動自体を実行する、ということを指す。 行動の「様相」とは人が行動に与る様々な様態を指す。例えば、行動自体をする人であること、誰かが行動を行うのを扇動する人であること、行動の許可・認可・承認を与える人であること、などである。 行動の「動機づけ」とは行動に駆り立てる内的情動あるいは負の感情を指し、憤怒、強欲、傲慢、欺瞞などが含まれる。 あらゆる行動は以上の四つの要因の存在を内包している。四つの要因を構成する要素が異なる順序で算定されると、ジャイナ教の教師たちはカルマの物質が霊魂に誘引される108種類の方法について述べた。暴力に対して遠巻きにして暗黙の同意・承認を与えることすら霊魂にカルマの結果をもたらす。そのため、聖典では行動する上で注意深くあること、世界に対して常に気配りを忘れないこと、カルマの負担を避けるための手段として思考を清く保つことといった助言がされている。 『タットヴァールタスートラ』によると、「バンダ」つまりカルマの呪縛の原因―精神的発展の順序の中で霊魂によって除去されることが要求される―は: 「ミティヤートヴァ」(Mithyātva、非合理性と混乱した世界観) – 混乱した世界観とは、一面的な考え方、ひねくれた観点、非合理的な懐疑主義、無意味な一般化、無知による、世界が本当はどのように機能しているかに対する無理解を指す。 「アヴィラティ」(Avirati、何にも抑制されない、無戒の生活) – 束縛の二つ目の原因「アヴィラティ」とは自分自身や他者を傷つける邪悪な行動を自発的に控える能力の欠如である。「アヴィラティ」の状態に対して打ち勝てるのは在俗信者の五小誓戒を順守した場合だけである。 「プラマーダ」(Pramāda、不注意と行動の締まりなさ) – この三つ目の束縛の原因は、放心、美点や精神的な成長に対して熱中しないこと、自身や他者に対する気遣いの欠けた不適切な心、体、言葉の行動、より成る。 「カシャーヤ」(Kaṣāya、情動あるいは負の感情) – 憤怒、傲慢、欺瞞、強欲の四つの情動は霊魂にカルマが付着する第一の原因である。これらは霊魂を混乱した行動や終わりなき輪廻のサイクルに導く惑乱の闇の中に留める。 「ヨーガ」(Yoga、心、言葉、体の活動) – 心、体、言葉という三種類の活動は、情動の影響でなされた場合にカルマを引き付け、束縛させる。 各原因は次の原因の存在を前提としているが、次の原因は前の原因の存在を必ずしも前提としない。霊魂は以上の束縛の原因を一つずつ除去していくことができる場合にのみ「グナスターナー」(guṇasthāna)と呼ばれる精神的階梯を進むことができる。
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