村山富市元首相による追悼演説とは? わかりやすく解説

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村山富市元首相による追悼演説(抜粋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:00 UTC 版)

小渕恵三」の記事における「村山富市元首相による追悼演説(抜粋)」の解説

ウィキソース村山富市君の故議員小渕恵三君に対す追悼演説原文ありますサミット無難にこなすためなら、開催地は東京でも大阪京都でもよかった。むしろ、東京から遠く離れ今なお生活、産業基盤整備おくれている沖縄避けるべきだという意見も当然あったはずです。ところが、君は毅然としてサミット開催地を酷暑沖縄決断したであります思えば、この沖縄サミットに、君の政治家としての誠実さ象徴的にあらわれてます。君は、学生時代から何度も沖縄足を運び本土防衛のために二十万人犠牲となり、戦後は、アメリカ施政権のもとに、本土から切り離され苦しい中で本土復帰訴えた姿を目の当たりにして、沖縄への思い心に刻みつけたと聞いてます。 革新が、日米安保反対沖縄本土復帰訴えて大規模なデモ組織した一九六〇年前後、君は保守の側で沖縄文化協会をつくり、沖縄問題への取り組み始めていたのでありますサミット開催当たって無難大事にするなら、若いころからの思い目をつぶることでした。だが、やすきにつくため信念あいまいに沖縄人々痛み無視することは、君には到底できない相談でした。だから、困難を承知で、あえて沖縄サミット踏み切ったのです。その熱い思い沖縄人々どれほど勇気づけているかは、立場こそ違え長年沖縄問題取り組んできた私には痛いほどわかります七月二十一日から二十三日にかけて沖縄訪れ先進国首脳たちは、亜熱帯美しい海、高い空、濃い緑、それに豊かな文化人々優しい人情に目をみはることでしょう多くマスコミ沖縄全世界報道することで、工業国印象が強い日本が実は多様な歴史と文化持った国であることを、改め認識し直す違いありません。そして、あの美し沖縄苛烈戦いがあった歴史思いをはせるとき、世界平和に重要な責任有している先進国首脳たちは、平和のたっとさを改め心に刻むはずです。 君は、早稲田大学雄弁会属していたが、決し多弁ではなかった。でも、朴訥語りは、人々の心にしみ込む独特な説得力があった。もしも君が沖縄サミット主催していたら、ホスト国の首相にかかわらず、かなり控え目に沖縄語ったことでありましょう。だが、君ならそれで十分だった。君の含羞帯びた語りは、何物にも増して説得力持ち、君は存在そのもの雄弁だった。そんな君の姿を見ながら、多く国民沖縄痛み改め自分痛み感じた違いない今となってはかなわぬとなってしまいましたが、沖縄に集まる首脳たちの輪の真ん中に、どうしても君にいてほしかった。この沖縄サミットだけは君の手完結させてほしかった。それが、悔やんでも悔やみ切れない思いとなって、私の心に大きなひっかかりとなっているのです。

※この「村山富市元首相による追悼演説(抜粋)」の解説は、「小渕恵三」の解説の一部です。
「村山富市元首相による追悼演説(抜粋)」を含む「小渕恵三」の記事については、「小渕恵三」の概要を参照ください。

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