未回収の爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:27 UTC 版)
「チューレ空軍基地米軍機墜落事故」の記事における「未回収の爆弾」の解説
1987年、1988年、そして2000年に再び、デンマークの報道が1発の爆弾が回収されていないと報じた。SACは事故当時4発の爆弾はすべて処分されたと公式に発表していた。しかし、2008年に、BBCが情報公開法を利用し、事故のあった週の機密扱いを解かれた一部文書の開示を求め、そこでは3発の爆弾についてしか説明されていないことを確認した。ある機密扱いを解かれた文書 — 日付は1968年1月 — では、兵器のパラシュートのつり索とともに再び氷結した、氷が黒ずんだ区域について詳しく述べており、「プライマリもしくはセカンダリの爆発のようなもののために何かが溶けたと推測される」としている。1968年7月の報告では、「AECによる回収されたセカンダリ部品の解析では、3個のセカンダリの、ウラニウムの85%、重量比で94%を回収したことが確認された。第4のセカンダリの部品は確認されなかった」と述べられている。 プロジェクト・クレステッドアイス実施中の1968年4月、米軍はスターIII潜航艇シリアルナンバー“78252”を未発見の爆弾捜索のためチューレに送っていた (同様の作戦が2年前のスペイン沖において、失われた核爆弾の回収に成功していたパロマレス米軍機墜落事故を参照) が、この海面下捜索の本当の目的はデンマーク政府には隠された。1968年7月のある文書によれば、「この作戦に目標物あるいは失われた爆弾の部品の捜索を含むという事実は機密事項NOFORNとして扱う」とされ、アメリカ国外には開示されないことを意味した。また、「デンマークとの話し合いでは、この作戦は調査、墜落地点下の海底の再調査とすべきである」とされた。さらなる裏付けが1968年9月のアメリカ原子力委員会(AEC)による中間報告書で明らかになり、そこでは「さらに推測すると、その衝撃特性を考慮した場合、失われた<削除>は重い残骸が集中して観測された地域を越えた所で停止したかもしれない」と述べられていた。 海面下の捜索は技術的問題に悩まされ、結局中止された。機密扱いが解かれた文書の図とメモで、事故破片が広がった全地域を捜索するのは不可能だったことが明らかになった。4発の爆弾容器、1個のセカンダリ、および2個のセカンダリに相当する部品が海氷から回収され、1個のセカンダリに相当する部品は確認されなかった。また、武器ケーブルフェアリング、弾頭キャップ、および誘導装置の30×90cmの区画が見つかった。 BBCは事故の事後処理に関わった当局者を追跡取材した。その一人、元ロスアラモス国立研究所の核兵器設計者であるウィリアム・H. チェンバースは、チューレを含む核事故に対処するチームの責任者だった。彼は捜索の中止を決定した背景について、「全部品の回収には諸君がいうように失敗し、これには失望した … 機密部品を我々が発見できなかった場合、その回収は他の者にとっても非常に困難になるからだった」と語った。
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