未嘗無謀反之心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 07:41 UTC 版)
康熙帝は「謀反を起こした事実はないが、謀反の心を抱かなかったことがないとはいえず、これだけでも死罪に値する。さらに、明の皇子を騙り世を騒がせた罪は凌遅に値する」と直々の命令を下し、それに基づき朱慈煥は凌遅刑に処され、その子と孫を含む一族はことごとく処刑された(異説として家族は処刑前に自殺していたともされる)。これにより、崇禎帝の末裔は断絶した。一般的に名君といわれる康熙帝であるが、隠棲していた前王朝の末裔を60年以上も経ってから、このような理由で誅殺したことで、汚点を残す結果となった。
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