有史以降の噴火とは? わかりやすく解説

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有史以降の噴火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:24 UTC 版)

桜島」の記事における「有史以降の噴火」の解説

30回以上の噴火記録残されており、特に文明安永大正3回大きな噴火であった。『薩藩地理拾遺集においては708年和銅元年)、『薩藩名勝考』においては716年霊亀2年)、『神代皇帝記』においては717年養老元年)、『麑藩名勝考』や『三国名勝図会においては718年養老2年)に桜島湧出したとの説が紹介されている。現実的にこの年代に桜島形成されたとは考えられず、これらの説は桜島付近起きた噴火活動を指すものとされる764年天平宝字8年)から766年海底からの噴火があり、『続日本紀』天平宝字8年12月箇所に「麑嶋」(鹿児島)における噴火記述が残る。 原文是月。西方有声。似。時当大隅薩摩両国之堺。煙雲晦冥。奔電去来七日之後乃天晴。於麑嶋信爾之海。沙石自聚。化成三嶋。炎気露見。有如冶鋳之為。形勢相連望似四阿之屋。為嶋被埋者。民家六十二区。口八十余人 — 現代語訳この月、西方で音があった。似ているではない。この時、大隅国薩摩国の境が煙と暗闇となり、雷電が迸った。7日後にようやく去って天が晴れてみると「麑嶋信爾」の海で砂礫自然と集まり3つのになっていた。炎や気が立ち上る有様は、鍛冶の技のようである。連なる形はあずまや屋根似ている。島のために民家62戸が埋まり80余人犠牲となった 記述によれば鹿児島湾海上において大音響火焔とともに3つの島が生成したとされている。島の詳細な位置明確になっていない桜島関連した火山活動一つ考えられており、「麑嶋」(鹿児島)が桜島指しているとする説と、広く薩摩国大隅国境界地域指しているとする説がある。地質学的な調査により小林(1982)は、最初活動鍋山出現し次いで長崎鼻溶岩流出したとしている。931年頃(承平年間)に書かれた『和名類聚抄』において、大隅国囎唹郡に「志摩」(島)という地名登場する。これが具体的な地域としての桜島指した最古文献である。 766年から1468年までの約700年間は歴史記録記述残されていないため噴火無かった考えられていたが、その後の調査により、950年頃に大平溶岩形成する山頂火口からの噴火 や、1200年頃の活動中岳形成されたとする研究有る

※この「有史以降の噴火」の解説は、「桜島」の解説の一部です。
「有史以降の噴火」を含む「桜島」の記事については、「桜島」の概要を参照ください。

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