映画館ソレイユ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 19:37 UTC 版)
前記の通り、前身は同地に存在した映画館「高松大映劇場」であったが1970年代における配給元(大日本映画)の崩壊と倒産を受けて現在の独立系映画館へと運営の軸足をシフトさせることとなる。日活ロマンポルノを皮切りに成年映画の上映を開始し、窮地をしのいだ。これは末期の大日本映画が日活と配給網を統合させていたためである。1983年にソレイユ第1ビルに建て替えて以降は、4階のソレイユを大作(徳間・角川傘下時代の大映映画をはじめとする、香川県に配給本拠を持たない大手配給系)の上映館とし一般向けの作品を上映。一方で地階の劇場を高松大映として成年映画の上映をメインとしていた。この2つの映画館は「同じフロアで一般映画と成人映画を隣り合わせにできない」という理由で、出入り口も含め同じビル内でも異なるフロアの独立した映画館とした。この構造は現在まで引き継がれている。 以降、ソレイユは香川県内に配給拠点のない映画会社の配給受皿として機能していた。1990年には成年映画興行を取りやめている。しかし、1990年代にシネマコンプレックス時代が到来し、高松市にもおいても1999年にイオン高松東店(当時は高松サティ)内にワーナー・マイカル・シネマズ 高松(現:イオンシネマ高松東)がオープンしたことで、客層の流出が起こり、映画興行のメインが移ることになった。これに先立ち、1998年には大手配給会社から離脱した単館系の映画館となった。これらを受けて2001年に地階の高松大映を成年映画館から一般向け単館(ミニシアター館)ソレイユ2として転換。従来のソレイユをソレイユ1とし、1ホール(主にはソレイユ1)を大作系、1ホール(主にはソレイユ2)を単館系として、より幅広い一般(特に映画マニア)向けの映画館へと脱却を図る。しかし客層の流出に歯止めはかからず、ソレイユ1をホールソレイユと改称したのち、2003年にはソレイユ2を一度閉鎖した。 ソレイユビルが位置する常盤町周辺には1980年代まで複数の映画館が所在していた。しかし前述の一件に端を発した、郊外でのワーナー・マイカル・シネマズ系シネコンの相次ぐ開設に伴って、それらの映画館は軒並み経営不振に追いやられた上で閉鎖され、現在も残るのはソレイユの他には成人映画専門のロッポニカ高松(旧日活系)のみとなっている。 この一連の出来事については「高松市の経済#映画館」を参照 その後、ホールソレイユはシネコンが受け入れない作品を中心としたミニシアター系の映画館として活動を続け、ソレイユ2も上映を再開した。2006年に第1回さぬき映画祭の会場として機能したのも、この頃である。しかし、2010年に休館が検討されるに至り、映画館の従業員が「個人事業主」となる形で存続することになるが、映画館存続と引き換えの形で2010年2月19日にホールソレイユが閉館する。 2010年代に入った頃からのミニシアター系制作会社の活発な活動を受け、運営会社は2013年1月26日からのホールソレイユの運営再開を決定した。この再開に際しては、山口県の映画館からデジタル映写機を譲り受けている。 現在は(主にイオンシネマズの県内2サイトなどで)好評を得ていた過去作の上映や往年の映画黄金期における名作のリバイバル上映、そしてイオンシネマズの受入枠から漏れたミニシアター系映画の配給受皿として機能している。 以降はソレイユ第1ビルの4階にホールソレイユを、同ビルの地下1階にソレイユ2を構えている。なおホールソレイユとソレイユ2は同一のビル内の映画館ではあるものの、前記の通り、ホールへの入り口はそれぞれ異なっており、チケット売場も共通ではないため、来訪には注意が必要である。
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