映画技術の革新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:50 UTC 版)
「ロバート・W・ポール」の記事における「映画技術の革新」の解説
ポールは、アールズ・コート・エキシビション・センターでキネトスコープ・パーラーを営業する許可を得て開業し、これが成功したことを受けて、動画をスクリーンに投映したいと考えるようになったが、これはエジソンが考えてもいなかったことであった。ポールとバート・エイカーズは、イングランド最初のカメラの発明者としての地位を共有していたが、ほどなくして両者の協力関係は解消され、フィルム・カメラと映写機の市場で、両者は競争関係に入った。 エイカーズは1896年1月14日に、イングランド初となる映写機を発表した。これに対してポールは、その直後の2月20日に、自身の開発した、より影響力が大きかった映写機シアトログラフ (Theatrograph) を公開した。奇しくもこの日付は、リュミエール兄弟の映画(シネマトグラフ)が、ロンドンで初めて上映された日であった。 1896年、ポールは、自ら開発した「マルチーズ・クロス・システム (Maltese cross system)」(マルタ十字になぞらえた名称)という間欠機構(英語版)を用いた、イギリスにおける最初の、スクリーンへの映画投映の仕組みを発表した。これは、リュミエール兄弟による投映システムのイギリスへの到来と同じ時期のことであった。科学者たちのグループを対象とした試写の後、ポールは映写機とスタッフをレスター・スクウェアのアルハンブラ・ミュージックホール(英語版)に提供するよう依頼され、1896年3月25日に、最初の劇場公開を行なった。このとき上映された作品の中には、漫画家でもある芸人トム・メリー(Tom Merry)(ウィリアム・ミーチャム(英語版)の芸名)がドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世の風刺画を描くという作品(1895年撮影)や、同じくビスマルク侯爵の風刺画を描くという作品(1895年撮影)などが取り上げられていた。メリーは、当時既に、ミュージックホールの演目に、こうした風刺画を素早く描いてみせるという芸を盛り込んでいた。(ちなみに、リュミエール作品の上演も、同じレスター・スクウェアのエンパイア・ミュージックホール(英語版)で行なうと告知されていた。)ミュージックホールにおける、ポールのシアトログラフ の普及はイギリス全国に及び、イギリスにおける初期の映画人気を高めることになった。ポールの成功にあやかろうとする舞台芸人たちは数多く、自分の地元でウケるように自作の映画を作りたいと申し出るものもいた。こうして、 映画用のカメラ、映写機、その他の装置などを製造する事業所を、事務所やショールームから切り離した独立した施設として開設する必要が生じることとなった。 ポールは、可搬式カメラの分野でも、革新を続けた。1896年4月に製作された「Cinematograph Camera No. 1」は、逆回転が可能な最初のカメラであった。逆回転は、同じフィルムを何回も巻き戻して撮影することを可能にするために必要とされる機構であった。この機能によって、二重露光、多重露光が可能になったことには、重要な意味があった。この技術は、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』を映像化した最古の作品として知られているポールの1901年の映画『Scrooge, or, Marley's Ghost』にも用いられている。ジョルジュ・メリエスが最初に使用したカメラが、ポールの製造したものであったことも重要である。 1898年、ポールはイギリス最初の映画スタジオを設計し、ロンドン北部のマズウェル・ヒル(英語版)に建設した。
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