易の注釈史とは? わかりやすく解説

易の注釈史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:06 UTC 版)

易経」の記事における「易の注釈史」の解説

『易』にはこれまでさまざまな解釈が行われてきたが、大別する象数易(しょうすうえき)と義理易(ぎりえき)に分けられる。「象数易」とは卦の象形や易の数理から天地自然の法則読み解こうとする立場であり、「義理易」とは経文から聖人人々示そうとした義理倫理哲学)を明らかにしようという立場である。 漢代には天象人事影響し君主行動が天に影響して災異が起こるとする天人相関説があり、これにもとづいて易の象数から未来に起こる災異予測する神秘主義的な象数易(漢代易学)が隆盛した。ここで『易』はもっぱら政治用いられ預言書的な性格をもった。特に孟喜・京房らは戦国時代以来五行呼ばれる循環思想取り込み十二消息卦など天文律暦と易の象数とを結合させた卦気説と呼ばれる理論体系構築した前漢末の劉歆このような象数に基づく律暦思想の影響下のもと漢朝の官暦太初暦補正した三統暦作っており、また劉歆から始まる古文学で『易』は五経トップとされた。 一方、魏の王弼卦象解釈拘泥する漢易」のあり方反対し、経文語ろうとしている真意をくみ取ろうとする「義理易」を打ち立てた彼の注釈では『易』をもっぱら人事取り扱うものとし、老荘思想に基づきつつ、さまざまな人間関係のなかにおいて個人が取るべき処世知恵を見いだそうとした。彼の『易注』は南朝において学官に立てられ唐代には『五経正義』の一つとして周易正義』が作られた。 こうして王弼注が国家権威として認定されてゆくなかで「漢易」の系譜途絶えた。そのなかにあって鼎祚が漢易の諸注を集めて周易集解』を残し後代漢易一端伝えている。 宋代になると、従来の伝ならびに漢唐訓詁学の諸注を否定する新し経学興った。易でもさまざまな注釈書作られたが、「義理易」において王弼注と双璧称される程頤の『程氏易伝』がある。また「象数易」では数理易卦生成原理解こうとする『皇極経世書』や太極陰陽五行による周敦頤『通書』張載の『正蒙』などがある。ここで太極図先天図河図洛書といった図像をが用いられ図書先天の学という易図学興った南宋になると、義理易と象数易を統合しようとする動き現れ震の『漢上易伝』、朱熹『周易本義』がある。 周敦頤から二程子経て後の朱子学連なる儒教形而上学的基礎は、『易経』に求められる

※この「易の注釈史」の解説は、「易経」の解説の一部です。
「易の注釈史」を含む「易経」の記事については、「易経」の概要を参照ください。

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