旧森川家本とは? わかりやすく解説

旧森川家本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:22 UTC 版)

紫式部日記絵巻」の記事における「旧森川家本」の解説

詞書5段、絵5段。元は1920年大正9年名古屋森川勘一郎(如春庵)が発見した巻子本1巻藤田本に続く、行幸翌日10月17日場面と、11月1日敦成親王五十日(いか、誕生50日目祝儀)の日の様子を描く。伝来不明だが、絵のみが水野忠央の『丹鶴叢書壬子帙に旧久松家本と共に木版収められており、西国大名家伊予西条松平藩か)が秘蔵していたとみられる森川は、手持ち古美術コレクション整理してこの絵巻購入したという。 この旧森川家本は3度にわたり現状変更分割が行われている。最初1932年昭和7年)で、所有者森川勘一郎は、当時の大収集家であった益田孝鈍翁)に絵巻売却したこの際益田巻子最後の絵と詞書各1段分を切断し森川元に残した(現在は軸装個人重要文化財)。しばしば益田美術関係における相談役をしていた田中親美はこの処置に不賛成だったが、聞き届けられなかった。2度めは翌1933年昭和8年)、明仁上皇生誕祝し宮家招いて茶会催した時である。益田は、この茶会掛け物にするため、生誕祝いの席にふさわしい旧森川家本の第三段寛弘5年11月1日夜、敦成親王誕生50日の祝の場面切断した別の個人収集家経て、現在は東京国立博物館重要文化財。e国宝画像解説)。その翌年1934年昭和9年)、益田残った3段分を、額装6面絵・詞3面)に改装する。この6面戦後別の個人所蔵家を経て五島美術館所蔵となった国宝)。 各段の内容以下のとおり第一段(現・五島美術館第一段) - 行幸翌日10月17日中宮権亮実成と中宮大夫斉信が紫式部らのいる部屋訪れる。 第二段(現・五島美術館第二段) - 11月1日敦成親王五十日(いか)の祝儀第三段東京国立博物館) - 同夜、親王外祖父道長五十日の餅差し上げる。 第四段(現・五島美術館第三段) - 同夜、祝宴の後、酔って女房たちにたわむれる貴人たち。 第五段個人) - 同夜、几帳のかげ隠れていたところを道長に見つかり、祝い和歌詠むように迫られる紫式部宰相の君五島美術館第一段 帝の土御門邸行翌日10月17日中宮権亮実成と中宮大夫斉信が、紫式部のいる「宮の大夫の局」を訪れる。呼び掛ける実成(右)と斉信(左)、蔀戸越しに顔をのぞかせる紫式部。 (同左 詞書五島美術館第二段 寛弘5年11月1日敦成親王五十日の祝儀。若宮を抱く中宮(奥、顔は見えない)と給仕する女房たち。 (同左 詞書五島美術館第三段(旧森川家本第四段寛弘5年11月1日敦成親王五十日の祝儀。同日夜、祝宴の後、酔って女房たちにたわむれる貴人たち。左衛門督藤原公任画面右手中央の人物)が「あなかしこ此のわたりわかむらさきさぶらふ恐れ入りますがこの辺りに若紫居られませんか)」とたわむれる。 (同左 詞書

※この「旧森川家本」の解説は、「紫式部日記絵巻」の解説の一部です。
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