日系移民と沖縄そば
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 17:47 UTC 版)
「カンポ・グランデ (マットグロッソ・ド・スル州)」の記事における「日系移民と沖縄そば」の解説
日系移民、その中でも特に沖縄にルーツを持つ人々が多く暮らしている。2012年の文章によれば、日系人人口の60%が沖縄県出身者であるという。 ノロエステ鉄道(ポルトガル語版)建設工事に工夫として従事した日系移民たちは、終点であるこの地で根を下ろし、農業に従事して開墾を進め、コーヒーや野菜の栽培を行うようになった。沖縄出身者の文化として、祝いの席や農作業ができない日などに沖縄そばを作って食するというものがあった。 第二次世界大戦以前は、沖縄出身者の各家庭内の食文化であった沖縄そばであるが、戦後には屋台などで販売されるようになった。これらのそば店は、沖縄出身者(を含む日系人)の移民社会のコミュニティの結節点であり、情報交換の場でもあった。フォークを使って静かに食する文化の中で、箸を使い音を立ててそばを食することが恥ずかしがられたために、当初はカーテンで覆って客を隠していたが、それが非日系人から「日本人は隠れておいしいものを食べている」と好奇心を誘い、知られるようになったという。1980年代には顧客のほとんどが日系人以外のブラジル人になった。2012年の文章では、市内にそば店は100軒以上を数えるという。 もともとの沖縄そばは、豚骨ベースのスープに、ソーキ(豚のあばら肉)をトッピングとすることが多いが、シュラスコなど牛肉を愛好する当地の事情に合わせ牛肉をトッピングすることもあり、またスープについても豚のほかに牛、鶏ガラ、野菜などを用いて出汁をとることがあり、当地に多いイスラム教徒の客のために鶏や牛でだしを取ったものを用意されることがある。麺には鹹水のほか灰汁を使うこともあり「軟らかいパスタ」として受容されている。こうしてカンポ・グランデの沖縄そばは、日本で供される沖縄そばとも異なる独自の発展を遂げ、"sobá" の名で「郷土食」として根付いた。 多くのそば店が出店するフェイラ・セントラル(ポルトガル語版)(中央市場)では、運営母体の協会(カンポ・グランデ観光フェイラ・セントラル協会)が中心となり、"sobá" による地域振興が図られている。2006年、"sobá" は市の「無形文化遺産」にも指定され、同年より同協会主催で「そば祭り」が行われている。また協会は2006年に"sobá de campo grande"の商標を取り、市外へのフランチャイズ展開を企画しているという、フェイラ・セントラルの入り口には、高さ3mの sobá のモニュメントがある。
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