日系移民の玄関口として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 00:02 UTC 版)
日本人のブラジル移民は船でサントスに到着し、汽車に乗って急勾配のインクラインを通過し、まずルス駅に向かい、そこから各地へ散っていった。そのため当駅は日系移民にとってブラジル定住の第一歩となる思い出の場所であった。日本人に限らず多くの移民が同じルートを辿り、また現在もターミナル駅としてポルトガル語のできない多くの外国人を迎えることから、それらのシンポルとして上述のポルトガル語博物館が当駅構内に設けられた。
※この「日系移民の玄関口として」の解説は、「ルス駅」の解説の一部です。
「日系移民の玄関口として」を含む「ルス駅」の記事については、「ルス駅」の概要を参照ください。
- 日系移民の玄関口としてのページへのリンク