日本国体学講座とは? わかりやすく解説

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日本国体学講座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「日本国体学講座」の解説

文部省では国体明徴に関して専門学術研究構想する。1936年検討始まり1937年予算東京文理科大学広島文理科大学東京帝国大学京都帝国大学への日本国体論講座新設盛り込まれる当初計画では9月開講する予定であったが、文部省大学押し付けるものであり各大学自発設置するものでなかったため、予定より大幅に遅れる。 まず1937年11月東京文理科大学広島文理科大学日本国体論講座新設される。新設理由は「我が国民の歴史および精神生活史的発展における最も顕著な事象跡づけるとともに、また我が国政治・経済宗教道徳・教育・学問・芸術その他文化諸相通じて把握さるる特性明にして、我が国体が我が国民生活の生々不断な創造的発展展示し、常に国民具体的生活と結合し自覚ある国民活動帰一統合与うるところの国民存在範疇たる国体理論的に把握し学的基礎づけ」、「一切教学および実践的生活を媒介として国体具体発展に産ずるの自覚および覚悟得しめ」ようとするためとされる東京文理科大学では「国体論」を全学科で必修科目にするが、広島文理科大学では「国体教室」を設け、これを専門とする学生養成することになる。この国体教室西晋一郎国体論中核として誕生したといわれる西晋一郎国民精神文化研究所所員兼ね文部省国体明徴講座講師常連でもあった。 翌月京都帝国大学日本精神史講座新設される。講座名称がもともと「日本国体学講座」であったのを「日本精神史講座」に改めたときは、設置理由として「本学京都帝国大学文学部においては我が国体の学術的考究関係する講座として、つとに国史学講座国語学講座あり、我が国体の由来する所を究め我が国民性の特質明かにするに力を用うること久しといえども、しかもこれら講座において研究する所を綜合統一し国史を貫く固有の精神歴史的に研究する方面至っては、なお遺憾の点、少しとせず、これ本講座設置せんとする所以なり」としていた。これは文部省修正され官制改正理由で「本講座国体に基づく我が国思想文化ならび我が国民の精神生活歴史的性格」を明らかにし「我が国体の世界史意義および使命闡明し、東西文化融合発展努力すべき国民自覚および覚悟固めしめんとするもの」と改められる国体強調する点に文部省らしい修辞見られる日本精神史講座担当は、書類上、国史学第一講座西田直二郎兼任し助教授講師高山岩男助教授任命する予定とされる西田国民精神文化研究所所員兼ねていたが、京都帝国大学日本精神史講座休講にすることが多かったといわれる。 そのまた翌月1938年1月)、東京帝国大学日本思想史講座新設されるが、設置にあたって事態紛糾する前年11月、日本国体学講座を文学部設置することが文部省から一方的に通知される文学部では不満が強い中で評議会国史講座を第1候補日本思想史講座を第2候補決める。しかし総長文相らと会談し日本思想史講座決めてしまったことから、評議会で不満が噴出する文部省による官制改正理由京都帝国大学のときと同文である。日本思想史講座教授には国史学第二講座平泉澄が就く。

※この「日本国体学講座」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「日本国体学講座」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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