日本以外の国での歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:02 UTC 版)
奇術の歴史は古く、演目の1つ「カップ・アンド・ボール en:Cups and balls」は古代エジプトのベニハッサン村の4000年以上前のものと推測されている洞窟壁画にそれらしきものが描かれている。ただし、これはカップ・アンド・ボールを演じているところではなくパンを焼いているところだと考える学者もいる。紀元前1700年頃のものと考えられている書物(ウェストカー・パピルス)には当時のファラオの前で演じた奇術師の様子が詳細に描かれている。ギリシア・ローマ時代には奇術師を「小石を使うもの」という意味の言葉calculariusや「カップを使うもの」という意味の言葉acetabulariiで呼び、これは「カップとボール」(ラテン語acetabula et calculi)を表している。この時代の文書には、奇術師に関連する逸話や見聞録が数多く存在する。 魔術と奇術は、ある意味では非常に近しい関係にある。英語のmagicがその両方を指すように、そもそも奇術は魔術を実現するために発展してきたとも考えられる。 奇術は古代、国家形成以前の時代から行われていたとされ、これは古代の集団においてそれを統率するリーダー的役割の人間は、不思議な力があることが大きな影響力を持っていた(日本では卑弥呼など)ことに由来する。リーダーは、民衆とは違ったことができるということをアピールすることで権力を得たともいわれるからである。このような奇術を「原始奇術」、「ビザー・マジック」とも言い、古代社会では大きな影響力を持つことに成功したと見られる。 中世から近世にかけて西ヨーロッパにおいても同様で、当時奇術は権力者にとっては自身の権力を大きく見せるための手段であり、同時に魔女狩りによって不都合な人物を消すための方便でもあった。 こうした権力者の虚構を暴き、同時に魔女狩りから無実の人々を救うため、1584年にイギリスの地方地主レジナルド・スコットen:Reginald_Scotが、『妖術の開示en:The_Discoverie_of_Witchcraft』をロンドンで出版。この中には奇術の解説も含まれており、世界最古の奇術解説書となっている。しかし権力者にとって不都合な書物であったためか、英国国王ジェームス一世は自身が王位につくと、この本を異端の書として全て燃やすように指示した。このためこの本の原書はほとんど残っていない。(その他の有名な初期の解説書といえば「ホーカス・ポーカス・ジュニア」など)。
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