形成以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 05:33 UTC 版)
「大江川 (名古屋市)」の記事における「形成以前」の解説
江戸時代初期、大江川の上流に当たる南区付近には「大江川湊」と呼ばれる幅50間ほどの入江があった。文政5年(1822年)に刊行された地誌『尾張徇行記』の愛知郡南野村(現在の名古屋市南区)の項には、この入江が寛文年間(1661年-1672年)に近郷の年貢米を藩の倉へ送ったり鳴海の酒荷を運搬するなど多数の船が出入りする港として使用されていたとの記述がある。『尾張徇行記』によると、入江は「枝江」「大江」「北江」の3つに分かれていたといい、このうち「大江」には船の目標とするために植えられた「鳴尾松」と呼ばれる松が植えられていたため「松江」とも呼ばれていたのだという。この頃はまだ大江川は形成されておらず、前述の中井用水はこの「大江川湊」と呼ばれる海岸に注いでいた。当時の周辺地域一帯は葦の繁茂する沼沢であったと言い伝わる。
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