日本と暦とは? わかりやすく解説

日本と暦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:38 UTC 版)

「暦」の記事における「日本と暦」の解説

日本ではかつて太陰太陽暦用いられていた。元嘉暦から宣明暦までは中国暦輸入して使った。これを漢暦五伝という。貞享暦から天保暦までは、日本人の手によって作られ暦法である。 中国の暦日本伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年553年)に百済対し暦博士来朝要請し翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられるこの頃百済施行されていた暦法元嘉暦であるので、このときに伝来した暦も元嘉暦ではないか推測される元岡古墳群福岡県福岡市出土の金錯銘大刀には「庚寅正月六日庚寅」の銘文があるが、元嘉暦に基づけば570年1月6日推定され、これが日本における最古の暦使用を示す考古資料となる可能性がある。 また、推古天皇10年602年)に百済から学僧観勒暦本天文地理書などを携えて来日し幾人かの子弟らがこの観勒について勉強したとある。 平安時代編集された『政事要略』という本に推古天皇12年604年)から初めて暦の頒布行ったと書かれているが、『日本書紀』では持統天皇4年690年)の条にある「勅を奉り始めて元嘉暦儀鳳暦とを行う」という記事初めてであり、正式採用持統天皇6年692年)からという説がある。 文武天皇元年697年8月からは元嘉暦廃され儀鳳暦専用された。儀鳳暦は唐で施行され麟徳暦のことである。元嘉暦儀鳳暦大きな違い朔日決定方法閏月の置き方である。朔日については、前者平朔を、後者定朔使用していた。また、置閏法については、元嘉暦19年7閏月という章法採用していたのに対し儀鳳暦では章法に拘らない破章法用いていた。 儀鳳暦以降大衍暦五紀暦宣明暦と唐で施行され暦法相次いで輸入され施行された。実際毎年の暦の作成頒布暦博士などの暦道人々が行った。宣明暦貞観4年862年)から用いられたが、その後中国との正式な国交絶えたため、江戸時代まで823年間も施行された。 江戸時代になると日本でも独自に天文暦学が発展し、明の大統暦西洋天文学研究天体観測盛んに行われたこのような中で、渋川春海最初自国暦法である貞享暦作るのに成功した貞享暦以後宝暦暦寛政暦天保暦日本独自相次いで改暦が行われた。弘化元年1844年)から施行され天保暦日本最後太陰太陽暦であるが、これまで実施され太陰太陽暦の中で最も精密なものといわれ、当時中国用いられていた時憲暦上回った評されているが、当時世界流れ逆行して不定時法導入するなどの問題点もあった。 明治時代グレゴリオ暦導入された。 現在でも民間では太陰太陽暦年中行事占いのために用いることがあり、これを旧暦呼んでいるが、これは閏月の置き方を天保暦借りはしているものの数値や計算法現代の理論に従っているので、厳密に天保暦同義ではない。現在の中国でも太陰太陽暦農暦という名で使われており、基本的に日本旧暦と同じであるが、1時間時差のために日がずれることが少なからずある。

※この「日本と暦」の解説は、「暦」の解説の一部です。
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