日本と李朝の倭寇対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
李朝は倭寇対策として壱岐と対馬の討伐を命じて、1396年の攻撃を行った。李朝は室町幕府に対して倭寇の禁圧を求め、中国からは明も同様の要請をした。要請を受けて、室町幕府では3代将軍の足利義満が倭寇を鎮圧した。義満は朝鮮へ使節を派遣し、管理貿易として日朝貿易が行われる。李朝の倭寇への懐柔策は効果をあげて、海賊行為から貿易へと変化したり、朝鮮に渡航する者が増えたが、同時に李朝の財政の負担が増えたために渡航者を制限した(後述)。明からも倭寇対策を求める使者が来訪して、室町幕府の第3代将軍足利義満は朝鮮と交隣関係を結び、明とは冊封関係を結んだ。 対馬は倭寇の拠点でありつつも、宗氏は倭寇対策で李朝に協力した。李朝は宗氏に使節を派遣し、日本の密航者の取り締まりを求めた。対馬は貿易の利益と自国の防衛のために、倭寇の情報を李朝へ送るようになる。対馬は各地の商人のネットワークを活用して、壱岐、博多、赤間関、肥前が情報源となった。
※この「日本と李朝の倭寇対策」の解説は、「日朝関係史」の解説の一部です。
「日本と李朝の倭寇対策」を含む「日朝関係史」の記事については、「日朝関係史」の概要を参照ください。
- 日本と李朝の倭寇対策のページへのリンク