新薬の台頭とその後への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 00:21 UTC 版)
「プロントジル」の記事における「新薬の台頭とその後への影響」の解説
1935年後半に、パリのパスツール研究所でプロントジルが無色のスルファニルアミド(p-アミノベンゼンスルホンアミド)に代謝されることが発見され、プロントジルはプロドラッグであることが判明した。1909年前半にスルファニルアミドが特許申請された時には医薬品用途は想定されていなかったが、先記の発見後、バイエル社から医薬品として発売された。 IGファルベン社が(スルファニルアミドの医薬品としての)新規用途を発見したのは1932年であるが、プロントジルを新規化合物として理解していたので特許を簡単に取得できたのだと主張されている。しかしパスツール研究所の研究者の一人は1988年に『今日、我々が発見するまでは、プロントジルの臨床試験をした研究者等はスルファニルアミドの特性を理解しておらず、我々からの連絡でそれを知った事が確証された。1935年から1936年の月報と実験ノートでそれを確かめることができた。スルファミドの構造式を彼らが知ったのは、疑う余地なく、1936年1月以前ではない』と書いている。 米国では1935年に、大西洋を超えてやって来た新たな治療概念―抗生物質―による治療が初めて実施された。ドイツ語の文献を英語に翻訳する過程で研究が精査され、『3本の臨床試験に製薬企業が出資し、薬剤を提供し、重篤な連鎖球菌疾患に罹患した“研究者の娘”が被験者として参加していた』事が判明した。ジョン・ホプキンス大学で、後に全身性細菌感染症から数百万人の命を救う事になる先駆的な研究が始められた。 スルファニルアミドは医薬品用途の特許が取得されていなかった上、抗菌性が公表された時には既に特許が失効していたので、生産コストが安かった。スルファニルアミド基が他の様々な分子と容易に結合したので、化学者等は直ぐに数百もの第二世代スルホンアミド薬を産み出した。その結果プロントジルは、バイエルが望んでいた市場での立ち位置を失った。すぐさま新サルファ薬が台頭し、1940年代中頃から1950年代に掛けて、ペニシリン等のより効果が高くより多種類の微生物に有効な抗生物質が開発され、プロントジルは1960年代半ばでその姿を消した。プロントジルの発見は抗生物質の先駆けであり、薬理学研究、薬事関係法規、そして医薬品の歴史の大きな進展をもたらした。 スルホンアミドとトリメトプリムの合剤(ST合剤)は現在でもAIDS患者における日和見感染症、尿路感染症、やけどの治療に対して広く使用されている。しかし、多くの場合、サルファ薬はβ-ラクタム系抗生物質に取って代わられている。
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