新時代のタイ仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 10:24 UTC 版)
20世紀の後半に入ると、科学の発展に従いタイ人一般にも新たな価値観が生まれた。これに対応するように、同じような考えを持つ僧同志が集まって一種のコミュニティーを作り出した。以下に主要なものを挙げる。 プラ・プッタタートの運動 チャイヤーにワット・モーカーパララームと呼ばれる本拠地がある。このコミュニティーを作ったのはプラ・プッタタート(1906年 - 1993年)で原始仏教の修行形態を重視し、質素な生活を特徴としている。その思想は既存の仏教理論に批判を加え、ブッダの唱えた「純粋」な教えをリバイバルさせようと言うものであるが、一方で一般に上座部仏教には見られない空の思想をも展開している。一部で異端視する考えもあるが、プラ・プッタタートの一日一食の禁欲的生活はコミュニティー外からも尊敬を集めていた。彼の本は何回も版を重ね死後の現在でも刊行されている。 サンティアソーク サンティアソークとは「静寂のアショーカ」と言う意味である。プラ・ポーティラックという僧によって創設された。タマユットニカーイで出家するも飽き足らずマハーニカーイで再出家するが、ここでも満足できず、自らサンティアソークと呼ばれる禁欲的なコミュニティーを作った。その仏教実践は禁欲を特色とするが、政界への進出など政治色も強い。サンティアソークの作った政党にパランタム党があるが、タイを本格的な民主化に導いたチャムロン・シームアン旧バンコク都知事がこの党に所属し、プラ・ポーティラックの支持者であったことから話題を呼んだ。ちなみに元首相のタクシン・チナワット警察中佐も元はパランタム党の出身である。プラ・ポーティラックはあまりにも言動が過激であったためサンガから強制還俗処分に遭っている。 タンマガーイ タンマガーイ寺院は瞑想を中心としている寺院。その歴史は仏暦2513年(西暦1970年)2月20日のマカブーチャ(万仏節)にて、パラヤッド氏から寄贈された196ライ(約9万5千坪)の土地を、当時61歳であったクンヤーイ・アーチャーン・マハーラタナ・ウバシカ・チャン・コンノックユンと出家一年目のプラテーパヤーンマハームニー(ルァンポー・タンマチャヨー)、そして仏教に純粋な信仰心を抱く信者や弟子達の協力によって始まった。(当時は仏輪修行センターという名で、その後に国王から寺院建設の地域として賜り、1981年3月29日にタンマガーイ寺院へと改名した) この他、ワット・タムクラボークなどに見られる、モン族難民の受け入れに代表されるような慈善活動や、地域の開発など、以前の様に宗教的な行為だけでなく、社会的な運動に力を入れる傾向が大きくなっている。
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