新時代・明治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:27 UTC 版)
この間、慶応4年(明治元年)3月14日(1868年4月6日)には五箇条の御誓文を発布して新政府の基本方針を表明し、閏4月21日(6月11日)には政体書によって新しい政治制度を採用。また、明治と改元して「一世一元の制」を定めた(改元の詔書を発したのは、慶応4年9月8日〈1868年10月23日〉。しかし、改元は慶応4年1月1日〈1868年1月25日〉に遡って適用するとした)。 江戸開城から半年を経た明治元年10月13日(1868年11月26日)、明治天皇は初めて江戸に行幸し同日、江戸を東京に改称し、江戸城を東京城に改称(東京奠都)。一旦京都に還幸後、翌明治2年(1869年)に再び東京に移り、崩御まで東京に居住していた。 明治2年6月17日(1869年7月25日)には版籍奉還の上表を勅許した。当初、新政府内では公家や旧大名が中心メンバーを占めていたが、東京へ遷ったことも一つのきっかけとして、次第に三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らの発言権が強大になっていった。明治4年7月14日(1871年8月29日)には廃藩置県を断行し、中央集権体制を確立した。 他方、明治3年1月3日(1870年2月3日)には、「宣教使ヲ置クノ詔」(大教宣布の詔) を発して、「神道の国教化(国家神道)」と「天皇の絶対化」を推し進めた。岩倉、大久保らは、天皇を近代国家の主体的君主と考えていた。
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