新時代への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
ドイツ民法草案に倣い、パンデクテン方式、法律行為理論を採用し、 公法・手続的法規定、商法との重複規定を削除して私法の基本法としての性格を貫徹し、 旧民法の教科書規定を大量削除して条文数を圧縮し、解釈の弾力性を高めて、激動する社会の変化に備えた。 例えば、物権の定義の複雑さは議会で富井が批判したほどの問題だったが、無体物を認める仏民法・プロイセン法の立場を退け、「有体物」に限定する独民法草案の立場を採用(現85条)、債権との区別を整備した。旧民法が無体物への物権を認めたのは、知的財産権を明文化する狙いがあったが(財4・6条)、民法典には無理に取り込まず、著作権法(1899年公布)などの特別法に委ねることで対処。 難解な教科書規定が一掃されたことで、確かにわかりやすくなったといわれ(利谷、福島)、仏独両民法の歴史的イデオロギーを大胆に捨象した実用法典として、アフリカ諸国からも参照に値するとの評価があるが、明治民法でもなお不完全であり、もっと簡潔にすべきだったとの批判もある(梅)。 また、ホッブズ流の国家主義も、ルソー流の個人主義も、近世自然法論は法人を個人と国家の間に位置する中間団体として敵視していたから、仏民法典も敵対的姿勢を採っていた。英米に比べて経済的に後れをとる一因となる半面、貧富の差の拡大抑止に繋がっていたが(栗本鋤雲)、資本主義社会の到来に備えて、独民法草案を参考に準則主義へ転換し、法人規定を拡充したのも重要である。
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