新憲法の公布日・施行日をめぐる議論
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「憲法記念日 (日本)」の記事における「新憲法の公布日・施行日をめぐる議論」の解説
日本国憲法の公布日および施行日については、その日をいつにするか議論があった。当時の内閣法制局長官であった入江俊郎は、後にこの間の経緯について次のように記している。 新憲法は昭和21年11月3日に公布された。 この公布の日については21年10月29日の閣議でいろいろ論議があつた。公布の日は結局施行の日を確定することになるが、一体何日から新憲法を施行することがよかろうかというので、大体5月1日とすれば11月1日に公布することになる。併し5月1日はメーデーであって、新憲法施行をこの日にえらぶことは実際上面白くない。では5月5日はどうか。これは節句の日で、日本人には覚えやすい日であるが、これは男子の節句で女子の節句でないということ、男女平等の新憲法としてはどうか。それとたんごの節句は武のまつりのいみがあるので戦争放棄の新憲法としてはどうであろうか。それでは5月3日ということにして、公布を11月3日にしたらどうか、公布を11月3日にするということは、閣議でも吉田総理、幣原国務相、木村法相、一松逓相等は賛成のようであつたが、明治節に公布するということ自体、司令部の思惑はどうかという一抹の不安もないでもなかつた。併し、結局施行日が5月1日も5月5日も適当でないということになれば、5月3日として、公布は自然11月3日となるということで、ゆく方針がきめられた。公布の上諭文は10月29日の閣議で決定、10月31日のひるに吉田総理より上奏御裁可を得た。 — 入江俊郎『日本国憲法成立の経緯原稿5』、入江俊郎文書 なお、この閣議における議論に先だって、GHQ民政局の内部では、「11月3日」は公布日として相応しくない旨を日本国政府に非公式に助言すべきであるとの意見もあった。また、対日理事会の中華民国代表も、1946年(昭和21年)10月25日、ジョージ・アチソン対日理事会議長に書簡を送り、明治時代に日本が近隣諸国に対して2回の戦争を行ったことを挙げ、民主的な日本の基礎となる新憲法の公布を祝うため、より相応しい日を選ぶよう日本政府を説得すべきであると主張した。しかし、アチソンは、同年10月31日の返信で、「11月3日」が公布日とされたことに特に意味はなく、日本政府の決定に介入することは望ましくないと書き送った。 こうして、日本国憲法は、1946年(昭和21年)の「11月3日」に公布、1947年(昭和22年)の「5月3日」に施行となった。
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