新しい時代の字書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:43 UTC 版)
本書は、久しく文字学の聖典とされてきた『説文解字』の訓詁の伝統を踏んでいるが、それを大きく覆す新しい漢字の体系を組み立てた漢字字書である。 説文解字の限界 『説文解字』は紀元100年ごろ、後漢の許慎が書いた字源辞典で、その学説は、「王」の字を「天地人三才を貫くもの」というような当時の形而上学的な解釈によるものであり、文字学としては誤りがかなり多い。白川は、「近年、夥しい甲骨資料の出土とその解読、金文の著録考釈の類が刊行されているが、当時はまだ地下に埋まったままで、許慎はそのような最初の文字資料を知らず、秦が文字統一を行ったときの秦篆がほとんど唯一の資料であった。よって、基本的に字の初形が確かでなく、また何よりも漢字が成立した時代についての古代学的知識の欠如が字形の解釈を誤った最も大きな理由である。(趣意)」と指摘する。 そして、「最古の資料である紀元前14世紀以来の甲骨文、それに続く殷末両周の金文資料は、古代文字の展開のあとを残りなく示している。『説文解字』の依拠した資料の時代的限界が今では明らかであり、従来の権威を維持することはもはや困難である。よって、『説文解字』は大きく書き改められなければならず、新しい文字学の時代が来ているのである。(趣意)」と述べている。 (さい)の提唱 「史・告・右・吉」などの字に含まれる「口」の形は、みな口から発する言葉を示すという字形解釈が行われていたために、文字が作られて3000年以上の永い間にわたってその本来的な意味が理解されることなく今日に及んだ、と白川は考えた。口という字は、甲骨文や金文には人の口とみるべき明確な使用例はなく、みな神への祈りの文である祝詞を入れる器の形の(さい)である。これは白川が漢字研究のごく初期の段階で独自に提唱し、昭和30年(1955年)に発表した。 例えば、「告」の字において『説文解字』では、牛が人に何かを訴えようとするとき、横木をつけた口をすり寄せてくると解する。しかし、「告」の甲骨文字はの上に木の小枝を突き刺した形になっており、本書では木の枝に神に対する祝詞を収める器のを懸けている形とし、「告」とは神に訴え告げることと解釈している。そして、多くの文字(古・可・召・名・各・客・吾・舎(舍)・害・言・兄・祝・啓・品・区(區)・臨・厳(嚴)など)について、このの形がもつ原初的で本質的な役割を解明している。字源は体系的に、字群によって証明されることを要すると白川は主張する。
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