新しい方針、新監督の就任、そしてドイツ・ブンデスリーガへ
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「TSG1899ホッフェンハイム」の記事における「新しい方針、新監督の就任、そしてドイツ・ブンデスリーガへ」の解説
元々ディートマー・ホップはドイツ3部への昇格を目標とし、地元の若手選手を多く育成し地元に貢献することができれば良し、と考えていた。また同時にこのクラブがドイツ3部のクラブとして彼からの金銭的なサポートがなくても自立できるようにクラブ運営の強化、新スポンサーの獲得、そしてクラブ環境を整えることを目標としていた。この一環としてドイツ3部や4部に所属し、同じライン・ネッカー郡に本拠地を置くサッカークラブとの合併や提携関係、そしてハイデルベルクでの新サッカー専用スタジアムの建設などを試みるものの、各方面の反対にあう。この影響によりディートマー・ホップは他クラブとの提携関係等を諦め、自らの方針で同クラブをドイツ・ブンデスリーガに昇格させ、ドイツ・サッカー界に新たな風を吹き込むクラブを作り上げる方針に切り替える。この新たな方針の下、積極的な補強が行われ、ドイツ2部への昇格を目指すものの、目標を達成できずにいた。 そこで2006年の夏には改革が行われ、それまでドイツのVfBシュトゥットガルトやシャルケ04を率いてドイツ・ブンデスリーガのみならず、UEFAチャンピオンズリーグでも実績を上げていたラルフ・ラングニック監督の招聘に成功した。また育成部門の新責任者には監督として約20年間に渡りホッケードイツ代表を率いて、ワールドカップやヨーロッパ選手権で優勝を果たした経歴を持つベルンハルド・ペータース、そして新たなメンタルコーチとしてサッカードイツ代表のメンタルコーチをも務めるハンス・ティーター・ヘルマンを招聘した。ディートマー・ホップはこの3人に、チーム力の改善、数年後のドイツ・ブンデスリーガへの昇格のみならず、クラブ全体の、特に育成部門の改革を託した。 結果はすぐさま現れ、就任初年度にはドイツ3部で準優勝しドイツ2部への昇格、そして2年目となる2007-08シーズンにはドイツ2部でも準優勝を果たし、見事ドイツ・ブンデスリーガへの昇格を決める。ラングニック監督就任の際、クラブは2010年でのブンデスリーガ昇格を目標として定めていたため、予定より2年早くブンデスリーガ昇格を果たしたことになる。 2008-09シーズン終盤には出資者のディートマー・ホップとラルフ・ラングニック監督の対立が報道されたが、ラングニックは2009-10シーズンも引き続き指揮を執ることになった。主力の放出をほぼゼロに抑え、若手を獲得するクラブ方針を覆してベテランDFヨシプ・シムニッチを獲得し、その他にもMFフランコ・スクリーニ、FWマイコスウェルなど南米生まれの若手を補強した。 2010-11シーズン中盤の1月2日にラングニックが退団した。この原因はホップがルイス・グスタヴォをバイエルン・ミュンヘンへ移籍させたことに対する抗議である。後任にはアシスタントコーチを務めていたマルコ・ペッツァイオリが昇格する形で就任した。 2011-12シーズンはホルガー・スタニスラウスキ(de)を監督に迎えるも、成績不振により2012年2月9日に解任。後任にはヘルタ・ベルリン前監督のマルクス・バッベルが就任した。 2016年2月12日、監督だったフーブ・ステフェンスが健康上の理由で辞任すると、その後任として四大リーグ最年少となる28歳のユリアン・ナーゲルスマンを新監督としたことを発表した。 2016-17シーズンを歴代最高順位の4位で終えるが、シーズン終了後にセバスティアン・ルディ、ニクラス・ジューレ、そして冬にはザンドロ・ヴァーグナーと主力を揃ってFCバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれた。
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