さいとう‐ひでさぶろう〔‐ひでサブラウ〕【斎藤秀三郎】
斎藤秀三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 01:30 UTC 版)
斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日)は、日本の英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。
注釈
- ^ 一番弟子は伝法久太郎である。また、学生の中に土井晩翠がいる
- ^ 1888年9月に教授。
- ^ この時代、濃尾地震に遭遇。この体験は、その後、地震嫌いとして斎藤の生活に影響を及ぼすことになる
- ^ 一時期、第一高等学校に出講した。
- ^ このほか未完であるが『斎藤英和大辞典』が原稿復刻版として存在する。原稿は 「H」 の項まで。
- ^ 例えば、前置詞に多くの頁が割かれていたり、動詞の語義も、前置詞や副詞との結びつきという観点から与えられている。
- ^ 実際、出版後、2度の増補(改訂ではなく、単純な増補。ただし、発音表記は、カナ表記から国際発音表記に改められている)を受けただけで、出版当時の姿を維持し、今日も出版販売されている(版元は初版は正則英語学校編訳部による二冊組、再販による一冊組が日英社、その後豊田実による増補版が岩波書店、現在の新版も岩波書店)。
- ^ 斎藤自身がCODを検討した後、「(CODは)おれの考えをみな取っている」と評した、というエピソードがある
- ^ 例えば、斎藤和英大辞典の「犠牲」の項目には、"I learned my English at the expense of my Japanese"(自国語を犠牲にして英語を学んだ)という用例がある。これは、略歴の通り、斎藤は英語で教育を受けており、漢学等通常の日本語教育を受けてこなかったことの告白である。実際、斎藤は両親あての手紙を英語で書き、それを受け取った父親は辞書を引きながら息子の手紙を読んだ、という逸話がある。
- ^ 子供が斎藤に相談事をする際も、書生を通じて予定を組む必要があったという
- ^ 大村『斎藤秀三郎伝』に全文が収録されている。
- ^ 仙台の英語塾に参加したが、あまりの短気に恐れをなして一日で辞めてしまった。
- ^ 英語青年等の記事もリストアップされており、有用である。
出典
- ^ 重久篤太郎「仙台の洋学」仙台市史編纂委員会編『仙台市史 4 別篇2』(仙台市役所、1951年)、p. 366.
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
- ^ “英和辞典の古典、新版で復活 巧みな翻訳人気”. www.nikkei.com (2016年12月3日). 2019年2月27日閲覧。
- ^ “NEW斎藤和英大辞典新版”. www.nichigai.co.jp. www.nichigai.co.jp. 2024年2月17日閲覧。
- ^ 福原麟太郎『日本の英学』生活社、1946年。
- ^ 手塚竜麿「仙台におけるプロテスタント系女子学校の成立」『英学史研究』第1974巻第6号、日本英学史学会、1973年、5-17頁、doi:10.5024/jeigakushi.1974.5、ISSN 0386-9490、NAID 130003624679。
- ^ 葛井義憲「相馬黒光論:「魂」の遍歴」『基督教研究』第46巻第1号、基督教研究会、1984年10月、60-92頁、doi:10.14988/pa.2017.0000004083、ISSN 03873080、NAID 120005631897。
- ^ 齋藤秀三郞人事興信録第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 渋沢信雄人事興信録. 第13版(昭和16年) 上 シ46-47
- ^ 『日本の保健婦』平澤正夫, 古橋書店, 1979、p75
- ^ 鶴見大学図書館編『斎藤文庫目録』
- ^ [1]
- ^ 都史紀要17東京の各種学校
- 1 斎藤秀三郎とは
- 2 斎藤秀三郎の概要
- 3 エピソード
- 4 参考文献
斎藤秀三郎と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 斎藤秀三郎のページへのリンク