井上十吉とは? わかりやすく解説

井上十吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 07:58 UTC 版)

井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日1862年12月19日) - 昭和4年(1929年4月7日)は、明治期の英語学者和英辞典編纂者、官吏ヘボンの影響を脱した最初の和英辞典である『新訳和英辞典』を完成させた。

曽孫に井上真紀(歌手)。

経歴

レオポール勲章シュヴァリエ章(ベルギー)

阿波国徳島藩井上高格の次男として生まれ[1]、藩主の命により江戸に出て明治4年(1871年慶應義塾に入学(『慶應義塾入社帳」第一巻487頁)。同塾卒業後の明治6年(1873年)、旧藩主蜂須賀茂韶に選抜された7人の留学生の1人として随行し、イギリスに渡る。ロンドン大学に進みキングス・カレッジ冶金学を治め、明治16年(1883年)帰国し、翌年、東京大学理学部で実験助手、第一高等中学校学習院高等師範学校東京高等商業学校などで英語教師となり、明治27年(1894年)に外務省の翻訳官に転じた。教え子には、神保格、渡辺半次郎、佐川春水がいる。

明治31年(1898年)には、公使館2等書記官になりベルギーアメリカ合衆国スウェーデン等、西欧各国に駐在。大正7年(1918年)に著述に専念するために退官し、大正4年(1915年)9月10日に『井上英和大辞典』を編纂。大正10年(1921年)1月2日には『井上和英大辞典』を編纂するなど10余種の辞典を作成した他、初めての英語教科書を発行した。「英語講義録」による通信教育を日本で初めて試みた。また、日本文化の海外紹介にも努め、英訳『仮名手本忠臣蔵』などの翻訳も多数手がけた。

栄典

英文で日常生活を紹介した著書『Home Life in Tokyo』(1910年)
外国

著作

脚注

  1. ^ 井上十吉」『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツhttps://kotobank.jp/word/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%8D%81%E5%90%89コトバンクより2025年1月20日閲覧 
  2. ^ 『官報』第5098号「叙任及辞令」1900年7月2日。
  3. ^ 『官報』第1661号「叙任及辞令」1918年2月18日。
  4. ^ 『官報』第5039号「叙任及辞令」1900年4月23日。

参考文献

関連項目





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