文学座と合流とは? わかりやすく解説

文学座と合流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 03:58 UTC 版)

加藤道夫」の記事における「文学座と合流」の解説

1949年昭和24年)に桜町病院退院した後は、自宅療養生活を続けた病床伏しながら、ウィリアム・サローヤン戯曲君が人生の時』を翻訳しラジオ短評を『時事新報』に書いた同年3月には、前年発表戯曲挿話』が文学座により上演され、これが加藤劇作の初上演となった。この『挿話上演機に麦の会」は正月から文学座合流し加藤文学座座員となった同年4月から文学座付属の「演劇研究所」が開校され加藤芥川岸田国士から、俳優教育任された。加藤らが入座した当初文学座は柄の悪い連中多かった加藤研究生らに、シェイクスピア朗読を英語で聴かせ、フランス文学者内藤濯中原中也三好達治題材にして耳から入る日本語美しさについて講義し、己の裡に内的世界を持つ「新し俳優」を育てようとした。加藤演劇的理想対す共鳴や、その人柄に惹かれ研究生たちは次第活気帯び、のちに「加藤道夫神話と言われるほど若い俳優影響与えていった。 一、俳優芸術家ならば、詩人が常に己れの内面詩的世界持っている様に俳優もまた己れの意識の裡に演劇本質に基いた厳密な言葉とヴィジオンの内的世界持ってなければならぬ。二、「描写偏重棄てよ。「描写」というものは実証的な客観的知性だけで出来るごくつまらぬものだ。三、「表現」せよ。「表現」となると強烈な主観的知性が働かなければ不可能である。新し俳優魅力決定するものはこの主観的知性である。 四、芸術家共産党員であっても一向差支えないはずだが、外的な政治意識内的な芸術意識とは悲劇的に相容れない関係にある。 — 加藤道夫新劇への不信同年6月芥川比呂志の初のプロ演出作『アンチゴーヌ』(ジャン・アヌイ原作)が上演され毎日ホールロビーで、加藤矢代静一から、劇作をし始めた三島由紀夫紹介され以後親交結んだ矢代もこの月に俳優座辞めて文学座研究生となった年下矢代三島加藤のことを「加藤さん」と呼び芥川は「道ちゃん」と呼んでいたという。 同年9月加藤倉橋健共訳したサローヤンの『我が心高原に』を文学座アトリエのために演出。この作品が初のプロ演出となったまた、1幕物の天邪鬼あまのじゃく)」を雑誌少年少女』に発表主人公自殺するというシーン議論呼んだ評論新劇動向」を雑誌再建評論』に、放送劇誰も知らない歴史」を雑誌日本演劇』に発表したこの年には、出身校慶應義塾大学講師となった

※この「文学座と合流」の解説は、「加藤道夫」の解説の一部です。
「文学座と合流」を含む「加藤道夫」の記事については、「加藤道夫」の概要を参照ください。

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