文学形式としての発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 18:10 UTC 版)
多くの詩人たちによって、祝婚歌は特別の文学形式に発展し、洗練されていった。サッポー、アナクレオン、ステシコロス、ピンダロスらがこの形式の巨匠と見なされている。しかし、古代ギリシア文学の中で一番の好例とされるのは、テオクリトスの18番目の牧歌で、それはメネラーオスとヘレネー(トロイのヘレン)の結婚を祝したものであった。ラテン語文学では、Fescennine詩(en:Fescennine Verses)のギリシア・モデルから模倣された祝婚歌が基本形式となり、カトゥルスがサッポーの失われた頌歌に基づいて作った『テティスとペレウスの結婚』を手本にして、それを補い、気品を与えた。 後の時代では、スタティウス(en:Statius)、アウソニウス、シドニウス・アポリナリス(en:Sidonius Apollinaris)およびクラウディウス・クラウディアヌス(en:Claudian)らが古典ラテンの著名な祝婚歌作家たちである。それらはさらに、Buchanan、ジュール・セザール・スカリジェ、ヤコポ・サンナザロ(en:Jacopo Sannazaro)など多くの後世のラテン語詩人たちに模倣され、この形式はある時期大変な人気があった。 フランス文学ではピエール・ド・ロンサール、フランソワ・ド・マレルブ(en:François de Malherbe)、ポール・スカロン、イタリア文学では、d'Iarini、メタスタージオといった人々が祝婚歌を書いた。しかし、それ以上に広く賞賛されたのが、英文学のエドマンド・スペンサー『祝婚歌(結婚祝曲)』(1595年)である。英文学では他にも、ベン・ジョンソン、ジョン・ダン、フランシス・クォールズ(en:Francis Quarles)らが祝婚歌を作り、ベン・ジョンソンの友人サー・ジョン・サックリング(en:John Suckling (poet))も『A Ballad Upon a Wedding』という祝婚歌を書いている。その中でサックリングは、滑稽で下品な描写と、セックスは差別をなくすものという考えで、普通のありふれた結婚式を愉快でわかりやすいものにした。 アルフレッド・テニスンの『イン・メモリアム』(en:In Memoriam A.H.H.)の終わりに出てくるテニスンの妹の結婚式について書いた詩は、まさに祝婚歌である。 E・E・カミングスも1923年の本『チューリップと煙突』(en:Tulips and Chimneys)の中にある詩『祝婚歌』でこの形式を使った。カミングスの『祝婚歌』は7つの八行連パートで構成され、無数の古代ギリシアへの言及を含んでいる。 たとえばウィリアム・シェイクスピアの戯曲『夏の夜の夢』などのように、「epithalamium」という語が詩の枠を越えて使われることもある
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