敷島隊の突入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 18:25 UTC 版)
「カリニン・ベイ (護衛空母)」の記事における「敷島隊の突入」の解説
しかし、第77.4.3任務群が安心していたのは、つかの間だった。7時25分にマバラカット基地を出撃した神風特別攻撃隊敷島隊(関行男大尉)が、10時49分に雲上から第77.4.3任務群に向けて突入してきた。敷島隊はレーダーに探知されないよう低空で接近した後、第77.4.3任務群を指呼の間に望んだ所で急上昇して雲間に隠れて攻撃機会をうかがっていたのである。レーダーが使用不能となっていたカリニン・ベイは見張りだけが情報探知の唯一の手段であった。やがてカリニン・ベイの見張りは、3機の零戦の突入を発見。1機は右舷後方から前部エレベーター付近に命中し、もう1機は後部エレベーター付近に命中した。あとの1機は艦首をかすめ去った後、対空砲火で撃墜した。この攻撃では、セント・ローが沈没してカリニン・ベイの他にはキトカン・ベイ (USS Kitkun Bay, CVE-71) とホワイト・プレインズ (USS White Plains, CVE-66) も損傷した。 敷島隊のどの機がどの空母に突入したのかは定かではない。デニス・ウォーナーは、関機は通説ではセント・ローに突入して撃沈したとされている零戦ではなく、カリニン・ベイに突入した零戦が関機としている。一方、金子敏夫は突入時刻やアメリカ側記録、写真、戦史などを参考にして、キトカン・ベイに突入したのが関機であるしている。カリニン・ベイの艦首をかすめ去ってから撃墜された3機目の零戦は、直掩で唯一生還しなかった管川操飛長機である。 レイテ沖海戦を通じて、カリニン・ベイは第77.4.3任務群の一艦としてダグラス・マッカーサー大将のフィリピン帰還を援護し、「ミッドウェー海戦以来、日本海軍が送り込んできた中で最も強力だった」日本艦隊がレイテ湾に立ち入る事を阻止した。第77.4.3任務群は2隻の護衛空母と2隻の駆逐艦、1隻の護衛駆逐艦の犠牲を出しながらも、フェリックス・スタンプ少将率いる第77.4.2任務群(通称「タフィ2」)の助けを借りて3隻の巡洋艦を撃沈し、数隻に損害を与えたと判断された。 海上と空からの激しい攻撃がようやく終わると、第77.4.3任務群セント・ローの生存者を探した後、南東方向に下がっていった。カリニン・ベイは艦の構造に大きな損傷を蒙り、5名の戦死者を含む60名の死傷者を出した。大破しながらもよく食い下がって敵を追い返したカリニン・ベイには殊勲部隊章(英語版)が授けられた。カリニン・ベイは11月1日にミオス・ウンディ島に寄港して仮修理を行った後、マヌス島に回航された。さらに本格的な修理と改修を受けるため、11月7日に同地を出港してアメリカ本土に向かい、11月27日にサンディエゴに到着した。
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敷島隊の突入
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「ホワイト・プレインズ (護衛空母)」の記事における「敷島隊の突入」の解説
しかし、第77.4.3任務群が安心していたのはつかの間だった。7時25分にマバラカット基地を出撃した神風特別攻撃隊敷島隊(関行男大尉)が、10時49分に雲上から第77.4.3任務群に向けて突入してきた。敷島隊はレーダーに探知されないよう低空で接近した後、第77.4.3任務群を指呼の間に望んだ所で急上昇して雲間に隠れて攻撃機会をうかがっていたのである。ホワイト・プレインズが上空に敷島隊がいるのを認めた次の瞬間、敷島隊のうちの2機が突入してきた。対空砲火で応戦した結果、ホワイト・プレインズの艦尾に接近しつつあった零戦の翼を撃ち落とし、零戦は操縦不能となってホワイト・プレインズからわずかに離れた海面に墜落した。他の機は僚機の突入を見届け、目標を変更し飛び去った。幸運にもホワイト・プレインズの損傷は甲板に軽微なものを負っただけにとどまったが、11人の死傷者を出した。また僚艦セント・ロー (USS St. Lo, CVE-63) はホワイト・プレインズへの突入を中止した特攻機によって撃沈された。カリニン・ベイとキトカン・ベイ (USS Kitkun Bay, CVE-71) も特攻機の突入を受けたが、いずれも致命傷には至らなかった。敷島隊のどの機がどの空母に突入したのかは定かではない。 ホワイト・プレインズは10月31日にマヌス島に到着し、被害状況の調査を受けた後修理のために合衆国本土への帰還を命じられ、11月6日、西海岸に向け出港した。11月27日にサンディエゴに到着後、直ちに修理が開始された。
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