教訓と教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「教訓」「教育」、及び「思索的講話」のジャンルは、古代オリエントに見出される知恵文学という、より大きな作品群の一部と分類しうる。このジャンルは教訓的な性質を持ち、中王国の書記官の教育シラバスの一部となっていたのではないかと考えられている。しかし、教育的テクストはしばしば教えるだけでなく楽しませることもできる物語的要素をも組み込んでいた。教育的テクストは書記官の教育よりもむしろイデオロギー的な目的を主眼に置いて作られたものであるとパーキンソンは主張している。中王国時代の『アメンエムハト一世の教訓(英語版)』では暗殺されたファラオアメンエムハト1世が神となって姿を現し、冒頭で息子のセンウセレト1世に「私がお前に言うことに耳を傾けよ」と宣告して教訓が語られる。教訓文学は、このような作品冒頭の表題によって比較的明確に分類することが可能である。『アメンエムハト一世の教訓』では、父王アメンエムハトが暗殺されたようすを詳細に記したうえで新王となる息子への忠告が語られる。アドルフ・エルマンは、アメンエムハト1世が息子たちに与えたという虚構的教訓は「〔……〕学校の哲学の境界を遥かに超えており、自身の子供たちに王に忠実であれと強く警告するという内容は学校と何の関係もない。」としている。『アメンエムハト一世の教訓』は、文学のスタイルをとりながらもセンウセレト1世の王位の正統性を理解させることが意図されている。 いっぽう『雄弁な農夫』のような作品で具体化される物語文学が、社会とそこで受け入れられたイデオロギーに立ち向かう一人の英雄を強調することも多いのに対し、教育的テクストは社会のドグマに従う必要性が強調されるのである。 教育的テクストに見出されるキーワードに「知る」(rh)と「教える」(sba.yt)がある。これらのテクストは通例、「Yのために作られたXの教訓」という定式的な題名の構造を採用しており、ここで「X」は大宰相(英語版)やファラオといった権威ある人物の名前が入り、息子(たち)に道徳的な指導を与えるという形を取ることがある。テクストの中には、受け手に触れる際に単数形と複数形が切り替わるものもあるので、こうした教育が何人の虚構上の受け手を対象としているのかを定めるのは難しい場合がある。 「教育」ジャンルの作品には『宰相プタハヘテプの教訓(英語版)』、『カゲムニの教訓(英語版)』、『メリカラー王への教訓(英語版)』、『アメンエムハト一世の教訓』、『ハルドジェデフの教訓(英語版)』、『愛国者の教訓(英語版)』、『アメンエムオペトの教訓(英語版)』などがある。中王国時代のもので現存している教育的テクストはパピルスに書かれたものであった。オストラコンに書かれた教育的テクストは現存していない。教育的テクスト(『プタハヘテプ』)の生徒による写しが書かれた木製の筆記板で最も古いものは第18王朝のものである。『プタハヘテプ』と『カゲムニ』は中王国の第12王朝期に書かれたプリス・パピルスから発見された。『愛国者の教訓』の完全に揃ったものは新王国時代の写本しか現存していないが、前半部分は中王国の第12王朝の役人セヘテピブレを記念する伝記の石柱上に完全な形で残っている。『メリカラー』、『アメンエムハト』、『ハルドジェデフ』は中王国時代の作品であるが、後の新王国の写本としてしか残存していない。『アメンエムオペト』は新王国時代に集成されたものである。
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