救済の対象とは? わかりやすく解説

救済の対象

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 04:24 UTC 版)

悪人正機」の記事における「救済の対象」の解説

『仏説無量寿経』には、すべての人が苦しみあえいでいる姿をつぶさに観察した法蔵菩薩阿弥陀仏修行時代の名前)は、この人たちすべてが仏となって幸せになってもらいたい誓い立てた。その48願いの第18番目の願いに、「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念不生不取正覺 唯除五逆誹謗正法」(意訳:わたしが仏になるとき、すべての人々心から念仏して、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教え謗るものだけは除かれます。)と説かれている。 「十方衆生」、すなわちすべての衆生が救済の対象である。また至心・信楽欲生は、如来の願によるものである。よって自らの計らいによる善悪は、阿弥陀による救済条件手段にはならない。 「唯除五逆誹謗正法」(「唯除の文」)についての親鸞了解は、曇鸞の『浄土論註』、善導の『観無量寿経疏』に依るのである詳細は、「四十八願#唯除の文」を参照のこと。 我々の行為下記のように、本質的には「悪」でしかない自分のやった善行によって往生しようと思うのは、阿弥陀仏誓願はたらき疑いの心による。 何を行うにしろ我々には常に欲望煩悩)があり、その計らいによる行為はすべて悪(煩悩濁)でしかない善いことをしようにも、実際には自らの善悪基準でしかなく、本質的な善悪判断基準がない。 すべての衆生根源的な悪人」であるがゆえに、阿弥陀仏の救済の対象は、「悪人」であり、その本願力によってのみ救済されるとする。つまり「弥陀本願相応した時、自分阿弥陀仏見抜かれたとおり、一つの善もできない悪人だったと知らされるから、早く本当の自分の姿を知りなさい」とするのが、「悪人正機」の本質である。 しかしこの事は、「欲望のままに悪事行って良い」と誤解されやすく注意要する。(#本願ぼこり参照)。 さらに、親鸞は自らを深く内省することによって、阿弥陀仏誓願起こして仏と成った『仏説無量寿経』説かれていることは、「親鸞一人のためであった」と、阿弥陀仏の本願力を自己のもの、つまり我々一人一人のためであった受け止め称名念仏は、行ではなく、その報恩謝徳のためであると勧め教化した。この点が、宗教者として親鸞独自性である。 以上が浄土真宗立場であり、それを示すのが続く引用である。 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力意趣にそむけり。 そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀本願にあらず。しかれども自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。 — 『歎異抄第3章

※この「救済の対象」の解説は、「悪人正機」の解説の一部です。
「救済の対象」を含む「悪人正機」の記事については、「悪人正機」の概要を参照ください。

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