悪人正機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 13:51 UTC 版)
悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。
- ^ 衆生…生きとし生けるすべての者。有情とも。
- ^ 一切の群生海、無始よりこのかた、乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心無し。(教行信証信巻)
- ^ 一切平凡小一切時の中に、貪愛の心常に能く善心を汚し、瞋憎の心常に能く法財を焼く。急作急修して頭燃をはらうが如くすれども、すべて「雑毒・雑修の善」と名け、また「虚仮虚仮・諂偽の行」と名く。「真実の業」と名けざるなり。(教行信証信巻)
- ^ 浄土真宗教学編集所 浄土真宗聖典編纂委員会 編纂 『<浄土真宗聖典>顕浄土真実教行証文類 -現代語版-』 本願寺出版社、2000年、P.29より引用。
- ^ 決定して自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に沈し常に流転して出離の縁有る事無しと深信す(教行信証信巻)
- ^ 「親鸞一人のためであった」…『歎異抄』の意訳。原文は、「親鸞一人がためなりけり」
- ^ 恵谷隆戒「新羅元暁の遊心安楽道は偽作か」『印度學佛教學研究』第23巻第1号、日本印度学仏教学会、1974年、16-23頁、doi:10.4259/ibk.23.16、NAID 130004023426、2018年12月22日閲覧。
- ^ 『昭和新修法然上人全集』p454
- ^ 『日本仏教思想史論考』p431-438
- ^ 「「三心料簡および御法語」の問題点について」
- ^ 浄土宗全書検索システム
- ^ 大意:善人尚以往生況悪人乎について (※口伝がある) 私[=三心料簡の筆録者]の考えでは、阿弥陀仏の誓われた本願は、自力で生死を続ける存在から離脱する(仏になる)手段を持てるような善人に向けてではない。極重悪人のなんら手段のない連中を哀れに思い誓いをたてられた。それなのに、菩薩聖人がこの本願にたよって往生を求め、凡夫の善人がこの本願に帰依して往生するのだから、まして罪悪深重の凡夫が他力に頼るのはより当然のことだ、などと言っている。間違った理解であり、誤りの見解に留まってはならない。譬えば本来は凡夫のためであり、聖人のためをも兼ねる、とあるように、よくよく理解しなさい。
- ^ 『日本思想全史』141頁
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