政界進出と辞任
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2001年(平成13年)に当時民主党幹事長だった菅直人が参議院議員通常選挙への出馬を依頼した。これを受け、最大野党・民主党から第19回参議院議員選挙の比例代表候補として立候補し、当選。6カ月間議員を務めた。立候補打診を受けた当時、既に外国暮らしをしていて「選挙運動のために帰国するつもりはない。党の方で選挙運動をして、私を当選させておいてくれ」と言っていたが、さすがに反発が強く、帰国して選挙運動をして、党内第1位で当選(選挙結果は小泉フィーバーで自民党圧勝)。 当選後すぐにアメリカ同時多発テロ事件が起き、これをきっかけに安全保障問題をめぐっての当時民主党代表・鳩山由紀夫ら当時の党執行部との考えの違いが鮮明になる。アメリカ同時多発テロ事件を非難する国会決議には、「アメリカを支持する」との文言を理由に民主党でただ1人反対。また、インド洋への自衛隊派遣に伴う事後承認にも反対するなど、短期間でいわゆる左翼的な「造反」を連発した。 また、8月6日の民主党両院総会では、巨泉は鳩山に「社会主義インターナショナルに加盟しセンターレフト(中道左派)の党としての性格を鮮明にせよ」と迫ったが、鳩山から「民主党のコンセンサスではない」と言下に却下されている。 こうした党との意見の違いによりわずか6か月で辞職。これに伴い、ツルネン・マルテイが繰り上げ当選した。辞職の弁では「日本の民主党がこれほどまでに反民主的な集団とは思わなかった」と述べた。辞職会見の時には、旧社会党系の民主党議員や社会民主党の女性議員が「巨泉さん辞めないでください!」「(辞職を)やめて! 辞めないで! 辞めるのをやめて!」などと辞職する巨泉を止めようと説得する場面があった(この時は、福島瑞穂や辻元清美、中川智子などの議員もいた)。この時巨泉は「これは辞めるって会見じゃないんです。既に辞職願を出して受理されました。もう辞めたんです!」と説得する女性議員に向かって述べた。 比例代表で当選した議員がその党の路線への不満を理由に辞職することと、その不勉強と我が儘さに対して各方面から批判された。当時内閣官房長官だった福田康夫は会見で「職場放棄だ」と批判したが、巨泉は『爆笑問題の日曜サンデー』(2008年9月14日)に出演した際、この発言を引き合いに出し、当時首相であった福田が唐突に辞意を表明したことについて逆に批判している。 後に巨泉が語ったところによると、中村敦夫らが結成したみどりの会議への移籍を一時真剣に考えたという(みどりの会議は選挙時に存在しなかったため、比例選出の議員でも移籍は可能だった)。また、当時党内で巨泉と意見が近く、鳩山らの執行部ともたびたび対立していた横路孝弘・赤松広隆・生方幸夫ら横路グループがもしも離党、新党結成へと踏み切っていたなら共に参加しただろうとも述べている。 議員辞職後は、民主党を強く批判するスタンスを取っていた。後に再び民主党に歩み寄る姿勢を見せ、民主党政権の誕生を望んでいるような発言もしていた時期もあったが、一方で民主党が保守に寄り過ぎているという認識は同じで、民主党が自民党化することに警鐘を鳴らしている。そのため、2009年第45回衆議院議員総選挙では、民主党の“勝ち過ぎ”を警戒し、社会主義的な理念を持つ政党が一定の影響力を持つことが必要として、比例区では社民党か日本共産党に投票するよう勧めた。
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