新党結成へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 04:19 UTC 版)
2016年4月13日に実施された第20代総選挙ではセヌリ党が非朴系(非朴槿恵系)である朱に公認を出さず、無所属で立候補し、セヌリ党候補を破り4選を果たした。2016年6月16日にはセヌリ党革新非常対策委員会の決定によって復党が決定され、8月9日に実施された党代表戦に非朴派の統一候補として立候補したが、親朴派の李貞鉉に敗れた。朴槿恵韓国大統領弾劾訴追を受けて12月27日に非朴派議員と共にセヌリ党を離党し、新党結成に参加。正しい政党の院内代表、代表権限代行に選出され、党指導部の一員となったが、同年11月13日に開催された党大会で正しい政党を離党し、自由韓国党に入党した。2019年2月27日に実施された自由韓国党代表選に出馬したが黄教安に敗れた。 2020年4月15日に実施された第21代総選挙に大邱広域市寿城区甲から未来統合党公認で立候補し、5選を果たした。5月9日に開かれた同党当選者会で院内代表に選出され、指導部が発足するまでの代表権限代行を兼任することになった。2021年6月11日に実施された国民の力代表選に立候補したが、得票数3位で落選した。
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