政界進出、参議院議員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:07 UTC 版)
「アントニオ猪木」の記事における「政界進出、参議院議員」の解説
「スポーツ平和党」を参照 1989年(平成元年)、「スポーツを通じて国際平和」を合言葉にスポーツ平和党を結成。第15回参議院議員通常選挙に比例区から99万3989票を集めて初当選し、参議院議員となる(キャッチコピーは「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」)。史上初のレスラー出身の国会議員となった。 なお、当時参議院比例区は政党名の投票であったのに対し、自身の知名度の高さから猪木の個人名を書いた無効票が大量に出た(当時の参議院比例代表選挙は厳正拘束名簿式)。政治活動を続けながらもプロレス界からは引退せず、政治とプロレスの「二足のわらじ」を履いて活動した。当時は参議院の通称使用が認められていなかったため、議員活動は本名の「猪木寛至」名義で行った。 1989年(平成元年)10月14日、福島県会津若松市の体育館で講演中に暴漢に刃物で襲われ、左の頸部などを負傷。会場が一時騒然となる中、傷口をタオルで押さえたまま講演を最後まで行い、終了後に東京の病院に入院した。この時の猪木はマスコミのインタビューで「アトラクションにしては痛てーな」とコメントしていた。後日、警察やマスコミなどが猪木に対し、何故、警戒しなかったのかと尋ねたところ、猪木は「過去に講演会やトークショー、様々なイベントで、ファンの人が突然、壇上に上がって握手やサインを求めてきたり、プレゼントを差し出してきたり、弟子入りや新日本プロレスへの入団をお願いしてきた事が何度かあり、今回も近づいてきた男性が暴漢ではなく自分のファンだと勘違いして何も警戒していなかった」と答えた。10月25日、統一会派を組んだ民社党の配慮により質問に立った。
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