摔跤の名手、沈三と
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 14:54 UTC 版)
沈三(?-1945)は北京の牛街生まれの回族出身で、柔道やモンゴル相撲によく似た武術である摔跤の名人として名高かった。 その名前は、この頃北京で「中国武術など屁だ」等と言って荒らし回っていたロシア人の巨漢レスラーに挑戦し、鎧袖一触に投げ飛ばし、中国伝統武術の面子をまもったというエピソードでひろく知られており、英雄的達人として一目置かれていた。 沈三と陳発科は、互いに伝統武術の名人として噂を聞き、直接会ったことはないものの、互いを尊敬し合っていた。 この両雄がはじめて顔を合わせたのは、ある武術の大会の場であった。 それぞれ大会に出場する弟子を連れて会場を訪れており、相手に気がついた二人は握手を交わし、互いに尊敬している旨を伝え合って親しく歓談した。 その歓談中に沈三は「今回の大会で摔跤と陳氏太極拳が激突したらどうなるであろう。聞くところによると陳氏太極拳は柔を以て剛を制すると言うが、はたして摔跤と勝負したらどうであろう」と発言した。 これを受けて陳発科は「私はきっとそれなりの対応方法があると思ってますが、なにしろはじめての相手ですのではっきりとは言えません。もし戦う前にどんな物かわかっていたらやりやすいのですけどもね」と返答した。 沈三は「では我々が試しにやってみるのは如何?」と提案し、陳発科は「私は摔跤には素人ですが、大変興味があるのでやってみましょう。聞けば摔跤は相手を掴んでから投げるものと聞きます。是非体験させて下さい」と言って立ち上がり、沈三に自分を掴んで投げるよう促した。 この成り行きに会場中が固唾をのんで見守る中、沈三は陳発科の腕をとり、今にも投げ飛ばすか、という姿勢をとったが、双方動かず緊迫した空気のまま数秒が経った。 この緊張の数秒の後、両雄はにっこり笑って座に戻り、もとのように歓談し始めた。 その数日の後、手土産を携えた沈三が陳発科のもとを訪れ、「その節はどうも」と挨拶し、陳発科も「いやいや、お互い様ですよ」と返礼した。 何のことかわからずキョトンとする陳発科の弟子達を見た沈三は「先生はあの大会の後、君たちに何も仰らなかったのかね?」と尋ね、弟子達が何も聞いていない旨答えると感動し、「諸君は本当に良い師匠を持っている。その技が万人に優れるだけでなく、人柄がこんなにも優れているというのは得難いことだ。しっかり学んで欲しい。」と言って帰って行った。 沈三によれば自分が陳発科を投げようとしたとき、どうしても投げることが出来ず、逆に陳発科はいつでも自分を地面に叩きつけることが出来たはずだと言うことであって、公衆の面前であることを考慮して自分の面子をまもってくれた陳発科は本当に万夫不当の大人物である。と言うことであった。 その後、弟子の一人が、どうしてやっつけなかったのですかと質問すると、陳発科は「あなたが大勢の徒弟の前で同じことをされたらどう思いますか。嫌ではないですか」と真剣に怒り弟子は大いに反省した。 日本が戦争に負け、父親が日本に協力していたため、洪均生が陳発科にかくまわれていた。洪均生の話によると陳発科は田舎から北京に出てきたため、朝食は毎日粥と決まっていた。
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