戦極・SRC
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2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜のライト級グランプリシリーズ1回戦でボーヤン・コセドナーと対戦し、3-0の判定勝ち。試合後のリング上では「ケガをしてぜんぜん練習できなくて、今回は言い訳させてください」と発言し、同門の郷野聡寛に「言い訳ハゲ」と言われた。 2008年11月1日、戦極 〜第六陣〜ライト級グランプリシリーズ準決勝で廣田瑞人に3-0の判定勝ちするも、決勝では北岡悟に0-3の判定負けし、準優勝となった。 2009年5月2日、戦極 〜第八陣〜でレオ・サントスと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。 2009年7月24日、Krushで廣野祐とキックボクシングルールで対戦。2Rに2回のダウンを奪われるなどして、0-3の判定負け。 2009年9月23日、戦極 〜第十陣〜でライアン・シュルツと対戦し、右フックで失神KO勝ち。失神しているシュルツを気遣うことなくマイクパフォーマンスを行ったことに対し、シュルツのセコンドを務めていた長南亮にブログで苦言を呈された 2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜で光岡映二と対戦し、判定勝ち。「ライト級王座挑戦者査定試合」とも言われた試合に勝利を収め、大会後には國保尊弘戦極広報が「(大晦日興行での廣田瑞人の王座挑戦者は)横田選手になると思います」と語ったが、その後、大晦日興行は中止となった。 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で川尻達也と対戦し、0-3の判定負けを喫した。のちに1か月前の11月25日に交通事故に遭い、腰痛椎弓骨折していたことを明かした。 2010年10月30日、10か月ぶりの復帰戦となったSRC15でブライアン・コッブと対戦し、1-2の判定負け。コッブは前日計量で規程体重をクリアできず減点1が与えられた状態で試合が開始された。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、左フックによる失神KO負け。
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戦極・SRC
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「ジョルジ・サンチアゴ」の記事における「戦極・SRC」の解説
2008年5月18日、戦極初参戦となった戦極 〜第二陣〜で佐々木有生と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 2008年9月28日、戦極 〜第五陣〜のミドル級(83 kg級)グランプリシリーズ1回戦でローガン・クラークと対戦し、肩固めで一本勝ち。 2008年11月1日、戦極 〜第六陣〜のミドル級グランプリシリーズ準決勝でシアー・バハドゥルザダと対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。決勝で中村和裕と対戦し、パウンドでKO勝ちを収め優勝を果たした。 2009年1月4日、戦極の乱2009の戦極ミドル級チャンピオンシップで三崎和雄と対戦し、チョークスリーパーで見込み一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2009年8月1日、Affliction: Trilogyでビクトー・ベウフォートと対戦予定であったが、大会開催が中止された。 2009年11月7日、10か月ぶりの試合となった戦極 〜第十一陣〜でマメッド・ハリドヴと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。 2010年3月7日、SRC12のSRCミドル級チャンピオンシップでマメッド・ハリドヴと再戦し、3-0の判定勝ちを収め初防衛に成功した。 2010年8月22日、SRC14のSRCミドル級チャンピオンシップで三崎和雄と対戦し、パウンドによるタオル投入によりTKO勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した。 2011年3月4日、J.Z.カルバン、ダニーロ・ビルフォート、ユーリ・ビルフォートらと共にアメリカン・トップチームを離脱した。
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戦極・SRC
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2009年3月20日、戦極初参戦となった戦極 〜第七陣〜の戦極フェザー級(-65kg)グランプリ1回戦でマット・ジャガースと対戦し、スタンディングでの肩固めで絞め落とし、一本勝ちを収めた。 2009年5月2日、戦極 〜第八陣〜の戦極フェザー級グランプリ2回戦でニック・デニスと対戦。右アッパーからの左フックでダウンを奪いパウンドによる追撃でKO勝ち。 2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜の戦極フェザー級グランプリ準決勝で小見川道大と対戦し、小差の判定負けを喫しキャリア初黒星となったが、本人は判定への不満を漏らした。 2009年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜のDREAM vs SRC 対抗戦で所英男と対戦予定であったが、練習中の負傷により欠場となった。 2010年3月7日、SRC12で鹿又智成と対戦し、1R開始9秒右アッパーでKO勝ち。試合後にリング上で挨拶したフェザー級王者金原正徳が挑戦者にサンドロを指名した。 2010年6月20日、SRC13でSRCフェザー級王者金原正徳に挑戦し、開始38秒右アッパーでKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightのメインイベントとして行なわれたSRCフェザー級王座の初防衛戦で日沖発の挑戦を受け、0-3の判定負けを喫し王座から陥落した。
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戦極・SRC
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2009年3月20日、戦極初出場となった戦極 〜第七陣〜のフェザー級(65 kg)グランプリ1回戦でクリス・マニュエルと対戦し、腕ひしぎ三角固め(戦極の公式記録は腕ひしぎ十字固め)で一本勝ちを収めた。 2009年5月2日、戦極 〜第八陣〜のフェザー級グランプリ2回戦でロニー・牛若と対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた。 2009年8月2日、戦極 〜第九陣〜のフェザー級グランプリ準決勝で金原正徳と対戦し、判定勝ちを収めた。しかし、頭部へのダメージなどによりドクターストップがかかり、決勝進出ならず。 2009年11月7日、戦極 〜第十一陣〜のフェザー級チャンピオンシップ挑戦者決定戦で幻の決勝戦の相手であった小見川道大と対戦し、ベストバウト賞を受賞する熱戦を繰り広げたが1-2の判定負け。 2010年5月30日、修斗世界ライト級タイトルマッチで王者のリオン武に挑戦し、2-1の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2010年8月22日、SRC14でジェフ・ローソンと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた。 2010年12月30日、戦極 Soul of FightでSRCフェザー級王者マルロン・サンドロに挑戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。 2011年4月29日、修斗伝承 2011でKOTC世界バンタム級(66 kg)王者のドナルド・サンチェスと対戦し、三角絞めで一本勝ちを収めた。 2011年5月31日、修斗世界ライト級王座を返上。6月25日、SRCフェザー級王座を返上。
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戦極・SRC
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2009年11月7日、戦極初出場となった戦極 〜第十一陣〜でマルロン・サンドロと対戦し、右フックでKO負け。 2010年3月7日、SRC12でニック・デニスと対戦し、フロントチョークで一本勝ち。 2012年3月10日、初出場となった修斗で田村彰敏と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2013年3月16日、修斗環太平洋ライト級(-65kg)タイトルマッチで王者の矢地祐介と挑戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
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