戦後の再建から現在まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 07:36 UTC 版)
「宮城県図書館」の記事における「戦後の再建から現在まで」の解説
戦後、仙台空襲により焼失した養賢堂の跡地(北緯38度16分6.9秒 東経140度52分15秒 / 北緯38.268583度 東経140.87083度 / 38.268583; 140.87083 (第4代(1949年~1968年)))に、宮城県図書館が新築されることになった。1948年(昭和23年)に起工された第1期工事の本館は1949年(昭和24年)に竣工し、11月3日に落成式が行われた。この建物は延べ面積1091平方メートルの広さで、屋根の形に養賢堂の面影を残して造られた。また、本館に続いて書庫の建設が第2期工事として行われた。建物の再興にあわせて、図書の寄贈や買取が行われ、小西文庫、伊達文庫、大槻文庫がここの蔵書に加わった。 こうして再興した宮城県図書館だったが、1960年代になると早くも建物の老朽化および設備の不都合が表面化した。1964年(昭和39年)に宮城県議会厚生文教委員会が宮城県図書館新築の請願を採択し、1965年度(昭和40年度)補正予算に図書館新築調査の予算が盛り込まれた。宮城県図書館は榴岡公園の隣接地(北緯38度15分44.6秒 東経140度53分42.5秒 / 北緯38.262389度 東経140.895139度 / 38.262389; 140.895139 (第5代(1968年~1997年)))に新築移転することになり、 1968年(昭和43年)1月18日に開館した。この時の蔵書数は約19万冊だった。1969年(昭和44年)7月には、移動図書館車「こかげ号」の巡回が始まり、こかげ号は23市町村53箇所を巡った。 平成の時代に入ると、宮城県図書館は再び新築移転した。1995年(平成7年)11月に仙台市泉区紫山(北緯38度20分45.7秒 東経140度50分19秒 / 北緯38.346028度 東経140.83861度 / 38.346028; 140.83861 (第6代(1998年 - )))で新館の起工が行われ、1997年(平成9年)8月に榴ヶ岡の宮城県図書館はいったん閉館した。この年の9月に新館の建物は竣工し、1998年(平成10年)3月21日に蔵書約65万冊をもって開館した。
※この「戦後の再建から現在まで」の解説は、「宮城県図書館」の解説の一部です。
「戦後の再建から現在まで」を含む「宮城県図書館」の記事については、「宮城県図書館」の概要を参照ください。
- 戦後の再建から現在までのページへのリンク