戦前の展開
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1940年(昭和15年)10月1日:東京駅 - 名古屋駅間に急行1041・1040列車が設定される。東海道本線の急行列車は東京 - 関西・山陽を走る長距離列車にのみ設定されていたが、それまでの準急列車(現在の快速列車に相当)を格上げし、当時は比較的短距離の優等列車であるため、食堂車などは連結されなかった。なお、東京駅 - 名古屋駅間の所要時間は下りが6時間45分、上りが6時間35分であった。 1942年(昭和17年)11月15日:急行1041・1040列車は、列車番号を改め125・126列車となる。 1943年(昭和18年)2月1日:急行125・126列車廃止。
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戦前の展開
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第二次世界大戦前は優等列車ではないが、1932年10月8日より名古屋鉄道(当時の呼称は名岐鉄道)犬山線から高山本線(当時の呼称は高山線)に直通する列車が運行されていた。「黒潮列車」のような列車愛称が与えられていなかったものの、1945年まで運行されたとされる。1934年10月25日の高山本線全通時に、岐阜駅 - 高山駅間にも準急列車(当時は料金不要)が運行されたが、1937年に休止された。 1932年(昭和7年)10月8日:犬山線から高山本線へ直通する初の列車が、当時の犬山線のターミナルであった柳橋駅 - 下呂駅間に土曜・休日に限り運行を開始。直通列車にはモ750形(755・756号)を半室畳敷きに改造した車両を充当し、所要時間は約2時間であった。 1933年(昭和8年)7月:乗り入れ専用車をトイレなどの特別整備を施したモ250形へ変更する。 1934年(昭和9年)10月25日:同日、高山本線が全通。これを機に岐阜駅 - 高山駅間に準急列車を毎日1往復運行。停車駅は那加・鵜沼・美濃太田・飛騨金山・下呂・飛騨小坂であった。 1937年(昭和12年)秋:岐阜駅 - 高山駅間の準急列車を休止。 1940年(昭和15年)10月10日:毎日1往復押切町駅(柳橋駅と同様名古屋の当時の名鉄ターミナル駅) - 富山駅間に定期列車を新設する。名鉄線内(押切町駅 - 新鵜沼駅間)では鉄道省の客車が押切町駅まで同社の電車(モ700形など)に牽引され、高山本線鵜沼駅 - 富山駅間では岐阜駅 - 富山駅間運転の列車に併結。 1941年(昭和16年)8月12日:新名古屋駅(現在の名鉄名古屋駅)が開業し、直通列車の発着駅も同駅に変更する。 1945年(昭和20年)戦況の悪化により直通列車は消滅(正確な時期・直接の中止理由は不詳)。最終期は高山本線内各駅停車であった。
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