戦前の展開とは? わかりやすく解説

戦前の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:26 UTC 版)

東海 (列車)」の記事における「戦前の展開」の解説

1940年昭和15年10月1日東京駅 - 名古屋駅間に急行1041・1040列車設定される東海道本線急行列車東京 - 関西山陽を走る長距離列車にのみ設定されていたが、それまで準急列車現在の快速列車に相当)を格上げし当時比較短距離優等列車であるため、食堂車などは連結されなかった。なお、東京駅 - 名古屋駅間の所要時間下り6時45分上り6時35であった1942年昭和17年11月15日急行1041・1040列車は、列車番号改め125・126列車となる。 1943年昭和18年2月1日急行125・126列車廃止

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戦前の展開

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:40 UTC 版)

ひだ (列車)」の記事における「戦前の展開」の解説

第二次世界大戦前優等列車ではないが、1932年10月8日より名古屋鉄道当時呼称名岐鉄道犬山線から高山本線当時呼称高山線)に直通する列車運行されていた。「黒潮列車のような列車愛称与えられていなかったものの、1945年まで運行されとされる1934年10月25日高山本線全通時に岐阜駅 - 高山駅間にも準急列車当時料金不要)が運行されたが、1937年休止された。 1932年昭和7年10月8日犬山線から高山本線直通する初の列車が、当時犬山線ターミナルであった柳橋駅 - 下呂駅間に土曜休日限り運行開始直通列車にはモ750形755756号)を半室畳敷き改造した車両充当し所要時間は約2時間であった1933年昭和8年7月乗り入れ専用車トイレなどの特別整備施した250形変更する1934年昭和9年10月25日同日高山本線全通これを機に岐阜駅 - 高山駅間に準急列車毎日1往復運行停車駅那加鵜沼美濃太田飛騨金山下呂飛騨小坂であった1937年昭和12年)秋:岐阜駅 - 高山駅間の準急列車休止1940年昭和15年10月10日毎日1往復押切町駅柳橋駅と同様名古屋当時名鉄ターミナル駅) - 富山駅間に定期列車新設する名鉄線内押切町駅 - 新鵜沼駅間)では鉄道省客車押切町駅まで同社電車(モ700形など)に牽引され高山本線鵜沼駅 - 富山駅間では岐阜駅 - 富山駅間運転の列車併結1941年昭和16年8月12日新名古屋駅現在の名鉄名古屋駅)が開業し直通列車の発着駅も同駅に変更する1945年昭和20年戦況の悪化により直通列車消滅正確な時期直接中止理由不詳)。最終期高山本線各駅停車であった

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