戦前(昭和期)の大輪朝顔と団十郎朝顔
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「団十郎朝顔」の記事における「戦前(昭和期)の大輪朝顔と団十郎朝顔」の解説
戦前の昭和期は、大輪朝顔の黄金期であった。全国各地に朝顔会がさらに増え、雑誌『実際園芸』や『農業世界』が増刊号を発行し、その影響で朝顔栽培者が年々増加していった。昭和2年(1927年)の『大輪朝顔栽培秘法』には「花王」の名が見える。黄蝉葉の「団十郎」は花王系の変化で、戦前吉田柳吉が選出、京都半日会の伊藤穣士郎が保存したとされるが、戦前の書籍には黄蝉葉の「団十郎」の名が見えない。昭和12年(1937年)発行の雑誌『農業世界』には黄蝉葉の品種「暫」の名前が見える。極めて濃い茶色で「花王」と「古代錦」の交配種から変化したものとしている。「花王」は前にも述べたように「名古屋種」と呼ばれた黄蝉葉桜色深覆輪の品種、「古代錦」は黄蝉葉薄柿花傘覆輪の品種である。この「暫」が後の「団十郎」であったとするならば、黄蝉葉の「団十郎」の記述としては今のところ最も古い物となる。昭和18年(1943年)頃からは戦争の拡大で朝顔の栽培が許されない世相になり、各地の朝顔会は消息を絶っていった。
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