戦前の学校「後援会」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 02:59 UTC 版)
合衆国で知られているような「父母と先生の会(PTA)」が、日本では、占領以前にはほとんど知られていなかった。様々な種類の「後援会」や「保護者会」は、日本中に存在していた。概して、それらの主要な目的は、税金によって充分に維持できない公立学校の運営を援助するために、資金を提供することであった。そのような「後援会」の会員になることは、通常、学校へ通う子どもを持つ親にとって義務となっていた。しばしば親たちは、学校へ通う子どもの人数を基準にして、寄付金を出すことを強要された。役員は民主的に選挙されず、会合の際には民主的議事法がとられず、さらに少数の「ボス」がそれぞれの会の諸事業を支配していた。すべての会員が、採決に参加する平等な権利を持っているわけではなかった。教師は会員に含まれていなかった。年に1、2回しか会合を持たなかった。会は、子どもの福祉を増進するための継続的な事業を展開することはなかった。会は親と教師が、共通の問題を議論したり、成人教育の事業を主催する機会を提供しなかった。多くの場合、「後援会」とは全く別に「母の会」が学校に組織され、家庭生活を改善する方法やそれと関連する課題について学習していた。しかし、「母の会」の活動は、しばしば学校長によって支配されていた。そのような会は、日本における伝統的な性差別と婦人の低い地位を固定化する傾向にあった。(占領期日本の社会教育改革 J・M・ネルソン 著)
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