戦前の料理店のトマトソーススパゲッティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:04 UTC 版)
「ナポリタン」の記事における「戦前の料理店のトマトソーススパゲッティ」の解説
東京・銀座の煉瓦亭には、1921年(大正10年)の時点で「イタリアン」というメニューがあった。外国航路のコックが陸に上がって伝えたものという。同店の4代目店主によれば、当時の「イタリアン」にはトマトピューレを用いていたが、関東大震災後から戦時中に食料配給制になるまではケチャップを使用していたという話もあるという。 横浜市教育委員会が発行した『横浜の食文化』p.79には、1934年(昭和9年)1月の横浜ホテルニューグランドのメニューが掲載されており、そこには「Spaghetti Napolitaine」の記載がある。また、同ホテルの支店である東京ニューグランドの1935年(昭和10年)のメニューには、カタカナで「スパゲチ ナポリテーイン」と書かれている。この「スパゲチ ナポリテーイン」は、裏ごししたトマトとチーズで作ったソースをかけたものだったと推定されている。当時のホテルニューグランドの総料理長はドリアの考案やアラカルトの導入などで知られるサリー・ワイルであり、戦前に同ホテルで修業経験のある小野正吉は、「スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ」と発言している。 古川ロッパの『古川ロッパ昭和日記』には、1934年(昭和9年)12月22日に「三越の特別食堂」で「ナポリタン」というスパゲッティを食したことが書かれている。ただし、ロッパの記述には「少し水気が切れない感じ」とあるため、茹でたパスタにソースを絡めた料理だったと推測される。
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