戦中・戦後 : 歳の市の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:17 UTC 版)
「仙台初売り」の記事における「戦中・戦後 : 歳の市の衰退」の解説
1937年(昭和12年)に日中戦争が始まり、翌年国家総動員法が制定されると、統制経済下で物資は配給になってしまい、歳の市は縮小していった。1940年(昭和15年)には東一番丁と元寺小路のみでの開催となり、1944年(昭和19年)には東一番丁で10軒だけとなった。 1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲により焼け野原となった仙台市街地では、終戦後の9月には仙台駅から宮城野橋(X橋)にかけて大規模な闇市が形成された。また同月、アメリカ軍が宮城県に進駐を開始した。そのような中でも、12月25日から歳の市が開催された。出店希望は500店に及び、歳の市始まって以来の大盛況となったものの、正月飾りなどを扱う店は十数店しかなく、ほとんどが食品や生活物資の店だった。他方、藤崎と三越は1946年(昭和21年)の正月三が日を休業とし、初売りは実施できなかった。 1947年(昭和22年)になると、交通事故防止の理由から歳の市は裏道の南光院丁(1.5番町)での開催(12月25日~1月2日)となり、賑わいを失った。その一方、仙台商工会議所が全市商店街に呼びかけて1948年(昭和23年)12月6日から翌年1月6日まで開催した歳末商工祭では、クリスマス飾り付けコンクールや町内連合の福引(特賞はミシン)が実施され、話題を呼んだ。 1949年(昭和24年)に共に全館営業再開となった藤崎と三越では、1950年(昭和25年)1月2日の初売りにおいて何度も入場制限するほど活況を呈し、東一番丁の商店街も身動き出来ないほどの人出で埋まった。同年末、歳の市は新設された青葉通りでの開催となったが、かつてのような賑わいを取り戻すことは出来なかった。 このように、戦中および戦後占領期を通じて仙台の年末年始の商業の活況は、歳の市から、デパートや商店街のクリスマスセール・歳末セール・初売りへと移る結果となった。 なお、歳の市は、仙台市では新暦・旧暦ともに昭和40年代に消滅したが、旧仙台藩北部にあたる岩手県南部から宮城県北部のいくつかの都市では旧暦年末開催が消滅したものの、新暦年末に数日間開催される例がある。
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