戦中、戦後混乱期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 10:22 UTC 版)
戦時中は、米不足のため、芋飯や饂飩に鰻を添えて供した。昭和19年(1944年)3月5日、本店は奢侈享楽面に対する非常措置実施要綱に基づき休業を余儀なくされた。本店店舗は大蔵省関係の寄宿舎として利用され、一家は茨城県那珂郡瓜連町に疎開した。昭和20年(1945年)の東京大空襲では木挽町本店、京橋店、丸ビル店、中之島店が被害を免れたが、他の支店は全滅し、以降再開されなかった。 終戦直後も米統制は続いたため、海草麺、サッカリン入り汁粉などを供し、ごく一部の常連客にのみ闇市の米を用いた鰻弁当を配り、官憲に見咎められると、客持参の米に鰻を載せただけだと弁解して言い逃れた。昭和24年(1949年)、飲食営業臨時規整法により許可を受け、通常営業を再開した。
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