成功と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:10 UTC 版)
黒潮号のダイヤ設定は、土曜の午後に大阪を発って夕刻白浜着、日曜夕刻に白浜を発って夜に大阪へ戻るもので、週末の1泊温泉旅行に最適であった。ゆえに当時の関西人からは大好評で、「黒潮列車」の通称で広く親しまれた。多客時は定期運行とは別に「臨時黒潮号」と呼ばれる日曜日帰り列車が設定され、年始1月1日から5日までの間は毎日運転された。 蒼井雄の長編探偵小説「船富家の惨劇」(1935年)は、日本で初めて列車ダイヤをアリバイトリックに用いた例と言われているが、主な舞台の一つは南紀地方であり、冒頭を飾ったのは黒潮号と阪和・南海の競合に関わるアリバイトリック解明であった。 しかし、この華やかな時期も長くは続かなかった。1937年7月の日中戦争勃発に際し、リゾート列車である黒潮号の運行は、不急不要の贅沢とされた。このため黒潮号は同年12月のダイヤ改正で廃止されて、短い歴史を閉じた(年始5日間の臨時黒潮号は少なくとも1940年までは継続)。 ただし黒潮号以外にも「日曜列車」「平日列車」と呼ばれた南紀直通列車が黒潮号と相前後して毎日直通運転されるようになっており、こちらは黒潮号廃止後も、阪和・南海線内電車牽引で存続した。同列車は阪和電気鉄道の南海合併が内定していた1940年8月改正で阪和電鉄単独の直通運転に変更され、戦時中の1943年にいったん廃止された。 阪和電鉄は南海合併を経て1944年に国有化され阪和線となったため、戦後は紀勢線と系統を一体化することとなった。南海との直通は1951年に復活したものの、普通列車が1972年に、黒潮号の後継となる急行列車であった「きのくに」としても、最終的には1985年に廃止されている。 2022年現在、阪和線には戦前の「黒潮号」の流れをくむ優等列車として、特急「くろしお」が運行されている。
※この「成功と廃止」の解説は、「黒潮号」の解説の一部です。
「成功と廃止」を含む「黒潮号」の記事については、「黒潮号」の概要を参照ください。
- 成功と廃止のページへのリンク