成功と凋落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 14:12 UTC 版)
1990年代初頭のグランジの爆発はロラパルーザを時代の先端に押し上げた。1992年、1993年のフェスティバルはラップやハードロックのほかにグランジが多く取り上げられたほか、パール・ジャム、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどがヘッドライナーとして参加し、モッシュやクラウド・サーフィンといったパンク・ロック・コンサートの聴衆のパフォーマンスがフェスティバルにも持ち込まれた。また詩や本の朗読、ジャングルジム、タトゥーやピアスを入れる店など屋台の参加者が激増し、コンサート会場の外は市場のような状態になった。 当時はチケット販売の際に各開催都市のチケット店の前に行列ができ、何日もチケット店の前にキャンプを張って待つ人々もいた。しかしチケットの高さや、会場の飲食物の高さ、野外会場の無秩序さやセキュリティのなさには怒りの声も上がった。日没後はゴミや毛布を燃やしてキャンプファイヤーを行う者もおり、また舞台を取り巻く照明などの足場によじ上る者もいた。 1994年はグランジの絶頂期であると同時に悲劇の年でもあった。ニルヴァーナがこの年のロラパルーザのヘッドライナーとなる予定だったが、彼らは4月7日に出演を辞退した。ボーカル・リードギターのカート・コバーンが遺体で発見されたのは翌4月8日だった。コバーンの未亡人コートニー・ラブは同年のロラパルーザのいくつかの都市のステージに(スマッシング・パンプキンズのボーカル、ビリー・コーガンから時間を譲られて)サプライズゲストとして登場し、コバーンの喪失を聴衆に語った。 ロラパルーザの立役者だったファレルは、自分の新プロジェクトに集中するためとしてフェスティバル組織から離脱し、フェスティバルの権利を世界最大のタレント事務所ウィリアム・モリス・エージェンシーに売却した。この時期、未知のジャンルやバンドを多く紹介する1990年代初頭の冒険性は徐々に薄らいでいた。多くの参加者は、1996年のメタリカの参加を「非メインストリーム」のミュージシャンを紹介してきたフェスティバルの歩みに反したものとみている。フェスティバルはカントリーミュージックのスーパースター、ウェイロン・ジェニングスの参加やプロディジーなどテクノミュージシャンの参加でジャンル横断性を維持しようとしたが、1998年のヘッドライナーを見つけることができず、結局1997年の回が最後となった。
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