慶光寺(けいこうじ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 02:41 UTC 版)
「隅田川御用帳」の記事における「慶光寺(けいこうじ)」の解説
深川の富岡八幡宮の北にある、敷地一万坪にも及ぶ縁切り寺(駆け込み寺)。八代将軍吉宗の時代から、側室の一人を禅尼として、離婚を望む女たちを受け入れてきた。作中での禅尼は万寿院。ただし、実際には深川に縁切り寺は無く、作者による創作である。
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慶光寺
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近藤金五(こんどうきんご) 寺社奉行所から慶光寺に遣わされた吟味物調役方与力(通称寺役人)、百三十俵五人扶持。ただし、大名である寺社奉行松平周防守の家臣ではなく、幕府御徒組(おかちぐみ)に属する御家人である。 父はすでに亡く、下谷の組屋敷に母がいるが、金五自身は寺内の役宅兼寺務所で寝泊まりしている。 十四郎とは幼なじみであり、伊沢道場で一緒に修行した仲でもある。剣の腕は十四郎(や千草)には及ばないものの、道場では上位に位置していた。浪人になった十四郎が道場に出入りしなくなったことで疎遠になっていたが、橘屋で6年ぶりに再会した。 最初はお登勢に執心しており、母が持ち込む縁談をことごとく断っていたが、同じ御徒組の娘、華枝(はなえ)との縁談に関しては、結婚を真剣に考えるようになる。しかし、華枝はある事件に巻き込まれて自害してしまう。 その後、旗本子弟のごろつきたちに襲撃された金五は、女剣士秋月千草に助けられた。千草に好意を抱いた金五は、千草の父の殺害事件解決に奔走する。その誠意に打たれた千草は、金五の求婚を受け入れた。 結婚後も、千草が道場にとどまって道場主を続けたため、通い婚を続けている。第13部第1話の年の正月に、長男慶太郎(けいたろう)が、第16巻第2話の前に第2子が誕生した。 万寿院(まんじゅいん) 慶光寺禅尼。四十代半ばだが、三十代にしか見えない美貌の持ち主。寺入りした女たちに対して慈愛に満ちた心配りを見せ、不幸な結婚生活や厳しい寺での生活にすさみがちな女たちの心もいやされ、万寿院を姉あるいは母のように慕っている。 元は松代という名で、白河藩主松平定信(楽翁)の上屋敷で奉公していた。なお白河藩上屋敷に奉公に上がるにあたって、旗本坂巻武太夫(さかまきぶだゆう)の養女となっている(この時17歳)。そして、先代将軍家治が白河藩上屋敷を訪問した際に松代に目を止め、18歳で大奥に上がることになった。家治が亡くなるまでの3年ほどの間、側室お万の方として寵愛を受けたが、子は授からなかった。 お登勢の母は、大奥でお万の方に仕えていた。また、十四郎の母早苗とも、大奥に上がる直前、飛鳥山の神社で知り合って、安産祈願のお守りを分け合った仲である。 春月尼(しゅんげつに) 大奥から万寿院と共に慶光寺に来た尼僧。槍の名手。 お筆(おふで) 市ヶ谷御納戸町の経師屋「森田屋」主人、幸助の妻。取引先の御小納戸頭取、戸塚豊後守に、強引に女中奉公を求められ、屋敷内で押して不義(強姦)をされた。お筆は、戸塚から夫の命を守るために離婚を望んだが、事情を知らない幸助はこれを拒否、寺入りとなった。そして、戸塚の子を妊娠していたお筆は、寺の中で出産することとなる。 万寿院は、お筆の産んだ子を光太郎と命名し、お登勢を通じてお筆に「育養の心」(貝原益軒著「養生訓」の抜粋)を与えた。十四郎は、その書の間に挟まっていたお守り袋が落ち、万寿院が慌てて取り戻したのを見て、自分が幼いころに身につけていたお守り袋の柄に似ていることに驚いた。 十四郎らの活躍で戸塚は断罪され、お筆は幸助の元に帰り、光太郎も幸助が自分の子として引き取った。
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