志摩マリンレジャーとは? わかりやすく解説

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志摩マリンレジャー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 14:00 UTC 版)

志摩マリンレジャー株式会社
Shima Marine Leisure Co., LTD
本社の入居する鳥羽マリンターミナル
種類 株式会社
本社所在地 日本
517-0011
三重県鳥羽市鳥羽一丁目2383番地51
鳥羽マリンターミナル内
設立 2008年(平成20年)10月1日
業種 海運業
法人番号 8190001007811
事業内容 遊覧船・定期船の運航
代表者 取締役社長 喜多勇司
資本金 9,000万円
従業員数 48人(2015年5月現在)
決算期 12月
主要株主 近鉄レジャーサービス 100%
外部リンク www.shima-marineleisure.com/
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志摩マリンレジャー株式会社(しまマリンレジャー、Shima Marine Leisure Co., LTD)は、日本海運業者近鉄グループに属し、三重県鳥羽市と同県志摩市観光遊覧船や定期船を運航している。

近畿日本鉄道(近鉄)の子会社である近鉄レジャーサービスの子会社である。

事業所

現行の航路

遊覧船

あご湾定期船

あご湾定期船

過去の航路

穴川定期船のりば

沿革

創立期

当初は自動車運輸業者として会社を設立、後に航路を他の事業者から譲り受け海運業に転向する。

  • 1927年(昭和2年)4月15日 - 真珠湾交通株式会社[注 1]として設立。
  • 1936年(昭和11年)9月 - 浜島 - 鳥羽航路を志摩通運より譲受。
  • 1943年(昭和18年)9月 - 自動車運輸事業を三重乗合自動車(三重交通の前身の1社)に譲渡。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 鳥羽湾交通株式会社を合併し、志摩航運株式会社に改称。
  • 1946年(昭和22年)10月 - 賢島 - 尾鷲航路を開設、的矢湾航運合名会社を合併。


拡大期

第二次世界大戦後は数社を合併したり、遊覧船の運航を開始するなど事業拡大を推進した。最盛期には三重県のみならず和歌山県にも進出した。

  • 1951年(昭和26年)4月 - 志摩観光汽船株式会社に社名変更。
  • 1952年(昭和27年)5月 - 鼓ヶ浦、霞ヶ浦[注 2]で出張営業を実施。
  • 1953年(昭和28年)7月 - 鳥羽湾納涼船の運航を開始。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 観光鳥羽汽船有限会社から事業を譲受。
  • 1958年(昭和33年)
    • 4月 - 渡鹿野航路(的矢湾巡航)の運航を開始[6]
    • 6月 - 伊勢商船株式会社から事業を譲受。
  • 1959年(昭和34年)
  • 1962年(昭和37年)7月 - 名古屋~鳥羽~蒲郡間で水中翼船を就航。
  • 1964年(昭和39年) - 和歌山県の勝浦観光汽船株式会社を合併し、志摩勝浦観光汽船株式会社に改称する。
  • 1966年(昭和41年) - 鋼船「五十鈴」・「あさま」を導入。
  • 1967年(昭和42年)9月3日 - 御座 - 浜島航路にカーフェリー「さきしま」(奥志摩フェリー)就航[7]
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月 - 鳥羽湾めぐり遊覧船乗り場を岩崎桟橋から佐田浜桟橋に移転。
    • 7月 - 鳥羽~蒲郡間にホバークラフトを就航。
  • 1970年(昭和45年)7月 - 本社を鳥羽港湾センター[注 3]に移転。


再編期

和歌山県の事業を分離し、事業の再編に着手するようになる。親会社の近畿日本鉄道の伊勢志摩での事業再編計画もあり、2度の会社清算と新会社への移行が行われ、現在に至る。近鉄志摩観光汽船は最高で年商約12億円を記録したものの、1998年(平成10年)度には半分まで落ち込んだうえ、約4億円の赤字を計上、約22億円の累積負債を抱えていた[8]

  • 1973年(昭和48年)3月 - 和歌山県(勝浦地区)での事業を会社から切り離し、近鉄志摩観光汽船株式会社に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月 - イルカ島にトンネルが開通。
  • 1985年(昭和60年)7月1日 - 渡鹿野航路から撤退[2]
  • 1989年(平成元年) - 奥志摩フェリー廃止[7]
  • 1995年(平成7年)4月3日 - 志摩マリンレジャー株式会社設立[9]。この時点では、近鉄志摩観光汽船は存続する。
  • 2000年(平成12年)
    • 3月31日 - 五ヶ所湾航路から撤退[3]。翌日から南勢町営バス(現・南伊勢町営バス)が運行開始。
    • 5月 - 近鉄志摩観光汽船が志摩マリンレジャーに事業譲渡、清算[9]
  • 2008年(平成20年)
    • 10月1日 - 近鉄レジャーサービスが志摩マリンサービス株式会社を設立[9]
    • 12月1日 - 志摩マリンレジャーが志摩マリンサービスに事業を譲渡、同時に以下のように社名変更[9]
      • (譲渡側)志摩マリンレジャー株式会社⇒志摩マリン開発株式会社
      • (譲受側)志摩マリンサービス株式会社⇒志摩マリンレジャー株式会社
    • 12月10日 - 志摩マリン開発の解散決議。
  • 2011年(平成23年)
    • 4月1日 - 鳥羽マリンターミナルが供用開始、本社を同ターミナルに移転。
    • 9月30日 - 観光船「いせじ」が退役[4]
  • 2012年(平成24年)5月21日 - 金環日食に合わせて、鳥羽湾と英虞湾で観測クルーズを実施[10]
  • 2016年(平成28年)5月21日〜5月28日 - 第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の開催に伴い、賢島 - 和具航路の賢島側発着港を志摩地中海村に変更[11][12]。志摩地中海村から鵜方駅まではシャトルバスが運行される[12]。また賢島 - 浜島航路の御座 - 賢島間を運休[12]
  • 2021年(令和3年)9月30日 - 浜島 - 御座 - 賢島定期航路(浜島航路)を廃止[5]

主な保有船舶

龍宮城
フラワーマーメイド
おおさき

現行の船舶

  • 龍宮城[13]
    • 1996年10月就航、199総トン、全長34.4m、幅7.5m、機関出力910ps、航海速力11.00ノット、旅客定員360名
    • 鳥羽湾めぐり航路で就航。名前の通り龍宮城をイメージしたデザインになっている。
  • フラワーマーメイド
    • 1996年6月竣工、神原造船建造、199総トン、全長39.00m、幅7.10m、深さ2.48m、機関出力910ps、航海速力13.04ノット、旅客定員360名[14]
    • 鳥羽湾めぐり航路で就航。船体にが描かれている。
  • エスペランサ
    • 1995年9月竣工、神原造船建造、166総トン、全長27.70m、幅7.00m、深さ2.51m、機関出力605ps、航海速力10.00ノット、旅客定員250名[14]
    • あご湾めぐり航路で就航。大航海時代スペイン帆船風の船舶で、別途入室料の必要な特別室「イザベラ」を持つ。
  • みつしま[15]
    • 1987年7月就航、19総トン、全長16.00m、幅7.1m、機関出力350ps、航海速力15.00ノット、旅客定員85名
    • 鳥羽湾めぐり航路に就航。
  • おくしま[16]
    • 1992年11月就航、19総トン、全長16.1m、航海速力11.4ノット、旅客定員80名
    • あご湾定期船に就航。
  • おおさき[16]
    • 1997年6月就航、19総トン、全長17.0m、航海速力15.0ノット、旅客定員80名
    • あご湾定期船に就航。
  • さきしま[16]
    • 2012年8月就航、19総トン、全長15.9m、航海速力15.0ノット、旅客定員70名
    • あご湾定期船に就航。

過去の船舶

  • パールクイン(水中翼船)
  • パールクイン2号(水中翼船)
  • パールクイン3号(水中翼船)
  • ひかり(ホーバークラフト SRN6)
  • さきしま(カーフェリー)
    • 1967年9月竣工・就航、神原造船建造、199.99総トン、全長33.00m、幅8.20m、深さ2.80m、機関出力340ps、航海速力9.00ノット、旅客定員200名、乗用車14台[17]
    • 「奥志摩フェリー」の名称で御座 - 浜島航路に就航。
  • あさま
    • 1967年10月竣工、三津造船建造、186.15総トン、全長33.50m、幅6.00m、深さ2.5m、機関出力530ps、航海速力10.5ノット、旅客定員341名[18]
    • 鳥羽湾めぐり航路に就航[19]。引退後、千当海運に売船[17]
  • 五十鈴[19]
    • 82.49総トン、旅客定員164名。
    • 鳥羽湾めぐり航路に就航。
  • パイオニア
    • 1969年10月竣工、神原造船建造、148.63総トン、全長27.00m、幅5.50m、深さ2.09m、機関出力390ps、航海速力8.0ノット、旅客定員280名[17]
    • あご湾めぐり航路に就航の外輪船[19]
  • ビクトリア
    • 1970年2月竣工、神原造船建造、165.77総トン、全長27.00m、幅6.52m、深さ2.10m、機関出力390ps、航海速力8.0ノット、旅客定員282名[17]
    • あご湾めぐり航路に就航の外輪船[19]
  • かみじ
    • 1971年3月竣工、神原造船建造、194.65総トン、全長33.70m、幅6.00m、深さ2.50m、機関出力530ps、航海速力8.0ノット、旅客定員377名[17]
    • 鳥羽湾めぐり航路に就航[19]
  • しまじ
    • 1978年6月竣工、神原造船建造、199.52総トン、全長33.35m、幅6.50m、深さ2.50m、機関出力790ps、航海速力12.33ノット、旅客定員420名[17]
    • 鳥羽湾めぐり航路に就航[19]
  • マリンパール
    • 1984年4月竣工、神原造船建造、175.00総トン、全長29.19m、幅7.10m、深さ2.49m、機関出力530ps、航海速力8.00ノット、旅客定員270名[17]
    • あご湾めぐり航路に就航の外輪船[19]
  • いせじ
    • 1987年7月竣工・就航、神原造船建造、197総トン、全長36.45m、幅7.10m、深さ2.50m、ディーゼル2基、機関出力910ps、航海速力12.0ノット、旅客定員400名[17]
    • 緑色赤色で塗装された蒸気船スタイルの船舶。船上バーベキュー航路で就航していた[4]
    • 引退時、志摩マリンレジャーが保有する船舶では最大であった[4]。利用者減と老朽化により、2011年9月に退役[4]

脚注

注釈

  1. ^ 真珠湾とは、ハワイパール・ハーバーではなく、三重県志摩市の英虞湾を指す。
  2. ^ 霞ヶ浦とは、茨城県霞ヶ浦ではなく、三重県四日市市沖の海域を指す。
  3. ^ 鳥羽港湾センターは、鳥羽港佐田浜桟橋に隣接して建っていたビルで、志摩マリンレジャーと鳥羽市営定期船の待合室、切符販売窓口、ゲームセンター商店などが入居していた。2011年(平成23年)4月にすべての機能を鳥羽マリンターミナルに譲り閉鎖。2011年6月時点では建物が残っていたが、2019年現在は佐田浜第3駐車場となっている。

出典

  1. ^ 観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  2. ^ a b 磯部町史編纂委員会 編(1997):1281ページ
  3. ^ a b 五ヶ所湾ふるさとの会"南勢町の紹介"<ウェブ魚拓>(2013年5月13日閲覧。)
  4. ^ a b c d e 林一茂"鳥羽湾巡りの大型観光船「いせじ」、来月末引退"毎日新聞2011年8月23日付朝刊、三重版24ページ
  5. ^ a b 浜島〜御座〜賢島定期航路(浜島航路)の廃止について』(PDF)(プレスリリース)志摩マリンレジャー、2021年3月26日。 オリジナルの2021年3月27日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20210327051325/https://shima-marineleisure.com/manage/wp-content/uploads/2021/03/news-release.pdf2021年3月27日閲覧 
  6. ^ 磯部郷土史刊行会 (1963):330ページ
  7. ^ a b 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.317 (海人社 2009)
  8. ^ "脱「近鉄依存」を模索 伊勢志摩観光(リポートみえ)"朝日新聞2000年2月2日付朝刊、三重18ページ
  9. ^ a b c d 子会社の解散および清算に関するお知らせ” (PDF). 近畿日本鉄道 (2008年11月11日). 2017年10月17日閲覧。
  10. ^ 丸山崇志・片山健生・渡辺大地"金環日食どこで観測? 各地で催し企画 英虞湾などクルーズも"中日新聞2012年5月18日付朝刊、伊勢志摩版
  11. ^ 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
  12. ^ a b c 志摩市市長公室 編(2016):7ページ
  13. ^ 就航船舶のご案内”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
  14. ^ a b 日本船舶明細書 1997 (日本海運集会所 1996)
  15. ^ 就航船舶のご案内”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
  16. ^ a b c あご湾定期船”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g h 日本船舶明細書 1990 (日本海運集会所 1990)
  18. ^ 日本船舶明細書 1988 (日本海運集会所 1988)
  19. ^ a b c d e f g 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 (日刊海事通信社 1986)

参考文献

  • 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
  • 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』磯部町、平成9年9月1日、1340p.
  • 志摩市市長公室 編『広報しま 2016年5月号 Vol.195』2016年5月、志摩市市長公室、32p.
  • 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編『鳥羽の観光50年』鳥羽市観光協会、昭和55年9月15日、289p.

関連項目

外部リンク



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